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テーマ:城跡めぐり(1254)
カテゴリ:城跡と史跡(神奈川編)
河村城の大手方向からは、堀切を隔てた先に曲輪がいくつか配され、さらに堀切を隔てて本丸である「本城郭」があります。
近藤郭の先にある堀切 薬研堀のようです。 本城郭 ピクニックには最適な芝生広場で、この日も大勢の大学生がコンパをしていました。 本城郭にある城跡碑 本城郭の周囲にも曲輪が配され、堀切で隔てられているはずなのですが、あまり判然としませんでした。 馬出郭の先端部 河村城の歴史は古く、平安時代の末期に藤原秀郷の流れを汲む河村秀高によって築かれたと伝えられています。 河村秀高の子河村義秀は、源頼朝の挙兵の時に平氏についたため、一時は領地を没収されてしまいましたが、1190年の鎌倉での流鏑馬の妙技が認められ、本領に復帰しました。 現在も山北町に伝わる「室生神社流鏑馬」はこれに由来するそうです。 「太平記」の時代、河村氏は新田氏と共に南朝方についたため、足利尊氏による鎌倉攻めの時は、新田氏と共に河村城に籠城したとの記録もあるそうです。 戦国時代になると小田原北条氏の支配下となり、敵対する武田氏に備えて城郭が補強されたようです。 武田氏と争奪戦を繰り広げた河村城でしたが、他の北条氏の城を同じく、1590年に豊臣秀吉の小田原攻めにより、廃城となっています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/05/14 03:06:51 PM
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