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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(静岡編)
下田開港後、玉泉寺にアメリカ合衆国領事館が置かれ、タウンゼント・ハリスが総領事となったのですが、そこには有名な「唐人お吉」の悲話があります。
下田奉行の仮宿舎となり、下田条約の交渉の際には日本側全権の打ち合わせ場所ともなった宝福寺は、そのお吉の菩提寺でもあります。 お吉の墓所がある宝福寺 宝福寺の境内には「唐人お吉記念館」が併設され、お吉ゆかりの品が展示されています。 記念館にあるお吉の人形 長襦袢は生前に愛用していたものだそうです。 お吉の本名は斎藤きちと言い、ハリスに仕えた後は下田で小料理屋を営んでいました。 お吉が営んでいた安直楼は、現在も下田に残っています。 安直楼 周囲からの偏見の中、1891年(明治24年)3月24日、豪雨の下田川に投身し、51歳の生涯を閉じています。 その亡骸は誰も引き取り手がない中、宝福寺の住職である竹岡大乗師が快く引受け、お吉は宝福寺に葬られました。 宝福寺には、そのお吉の墓所があります。 ところで唐人お吉記念館のために訪れた宝福寺でしたが、入口にはいきなり坂本龍馬の像があって、意外な感じがしました。 1863年に土佐藩の藩主である山内容堂が宝福寺を宿舎とした時、たまたま下田に入港していたのが勝海舟で、坂本龍馬の脱藩の許しを願った結果、許されたそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/05/30 10:16:29 AM
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