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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(静岡編)
須山浅間神社を後にすると、次は富士山の南麓と愛鷹山の間にある十里木高原を抜けて、村山浅間神社を目指しました。
今回の世界遺産めぐりルート→こちら またもや途中で道を間違えてしまい、気が付けば富士サファリパークの入場待ちの渋滞にずっと並んでいたこともありました。 根本宮村山浅間神社は、富士登山道の村山口に鎮座する浅間神社です。 東口本宮富士浅間神社と同じく、ここでも富士塚の上に狛犬が置かれていました。 拝殿に行ってみると、意外にも鉄筋コンクリート造りになっていました。 それでも拝殿の後ろに回ってみると、本殿は木造部分が残っています。 村山浅間神社はこれまでの浅間神社と少し異なっていて、神社であると同時に富士山興法寺の寺院でもありました。 明治の廃仏毀釈によって富士山興法寺は廃寺となりましたが、それまでは修験道(山伏修行)の中心地でした。 廃寺となった現在も、富士山興法寺大日堂(旧本堂)が残っています。 イチョウの木の向こう側に見えるのが、富士山興法寺大日堂です。 村山浅間神社のは背後にある高嶺総鎮守社は、村山修験の開祖である「末代上人」が「大棟梁権現」として祀られており、現在も地元の氏神社となっています。 その他にも大棟梁権現社の拝殿にあたる「護摩壇」や、修験者(山伏)が水垢離を行った「水垢離場」の跡が残っており、今後富士宮市によって発掘調査・整備が行われるそうです。 村山浅間神社の鎮座する富士村山口登山道は、「大宮・村山口登山道」として、ユネスコ世界文化遺産の「富士山域」の構成資産の1つに登録されています。 富士登山道村山口 村山口からは、初代駐日英国公使であったラザフォード・オールコックが1860年に富士登山を行っており、富士山に登った最初の外国人とされています。 そして村山浅間神社にも、33回の登山を記念した富士講碑が建っていました。 「登岳三十三回 大願成就」の富士講碑 その横には「遠江国磐田郡福島村中嶋」と刻まれており、さらには「大先達 佐藤八代𠮷 六十四才」とありました。 日付の記載はないものの、遠江国磐田郡福島村中嶋(現在の磐田市福田中嶋?)の記載から、江戸時代以前の建立だと思われます。 山伏修行の修験道の中心であった村山浅間神社では、同じ富士信仰でもまた違った一面に触れた気がしました。 ユネスコ世界文化遺産「富士山 信仰の対象と芸術の源泉」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/08/24 09:43:28 PM
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