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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(静岡編)
この日はすでに3社の浅間神社に参詣しており、山宮浅間神社で4社目となります。
今回の世界遺産めぐりルート→こちら 山宮神社の鳥居までやって来ると、扁額には「富士山元宮 山宮浅間神社」と書いてありました。 この瞬間は「元宮」の意味について深く考えていませんでしたが、この後でその意味を重くかみしめることになります。 鳥居の先には灯篭が並び、参道が続いていました。 浅間神社に限らず、神社ではよく見かける光景です。 「少し様子が変だな~」と思ったのは、参道の先に長屋門のような建物が見えた時です。 (城郭用語である「長屋門」の呼び方が適切なのかどうかはわかりませんが) 「籠屋」と呼ばれる建物で、長屋門形式の中央には賽銭箱が置かれていました。 この籠屋は祭儀を執り行った大宮司などの詰所で、現代で言うならば社務所にあたります。 この籠屋は昭和8年に建てられたものですが、それ以前に籠屋があったかどうかはわかっておらず、仮屋が建てられていた可能性もあるそうです。 籠屋の先にはさらに参道が続き、参道の入口には「鉾立石」が置かれていました。 参道の真ん中にあるのが「鉾立石」です。 鉾立石は、「山宮御神幸」で神の宿った鉾を休めるための石で、この後に訪れる富士山本宮浅間大社にも鉾立石が置かれていました。 実は山宮浅間神社には、今回訪れた他の浅間神社のような幣拝殿や本殿がありません。 籠屋から続く参道の先には、さらに石段がついており、その先の少し高くなった場所は石の柵で囲まれていました。 その石の柵で囲まれた場所が、「遥拝所」の跡です。 史跡保護のため中に入ることはできませんが、この遥拝所の存在を見た時は、「これがそうなのか!」と、深く心を動かされました。 我々日本人の古来の信仰は「自然信仰」や「精霊信仰」であり、自然そのものに神が宿るとする考え方です。 たしか武光誠先生の著書だったと思うのですが、古来日本人にとっての神は、自然界のどこにでも宿る「八百万の神」と書いてありました。 その神を呼び起こすため、鈴を鳴らし柏手を打つそうです。 「神体山」もその1つで、奈良の大神神社に本殿はなく、三輪山そのものを御神体としています。 山宮浅間神社も同じで、富士山そのものが御神体となっていました。 遥拝所から仰ぎ見る富士山 何度も見ているはずの富士山ですが、ここでは剣が峰を中心に左右対称となっていて、全く違う富士山を見ているようでした。 (箱根や足柄方面から見ると、山頂はもっと平らでギザギザしています) 数ある浅間神社の中でも山宮浅間神社が最も古いとされていますが、「元宮」の意味がよくわかると共に、日本人の信仰の原点を見た思いです。 (祭神はコノハナサクヤヒメのようですが、それよりも古くから鎮座するのではないでしょうか) 例によって今回もとりあえずルートだけ決めて、事前情報の収集もしない行き当たりばったりの世界遺産めぐりでした。 これまではそれで失敗したことも多々ありましたが、かえって事前に知らなかったことで、「そう言えば、そうだったのか~」などと、現地を訪れて初めて知ったからこその感動もあるものです。 ユネスコ世界文化遺産「富士山 信仰の対象と芸術の源泉」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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