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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(静岡編)
今回の富士山世界遺産めぐりでは5社目の浅間神社になりますが、いよいよ富士山本宮浅間大社にやって来ました。
今回の世界遺産めぐりルート→こちら 「大社」の名前が示すように、全国に約1300社ある浅間神社の総本宮にして、駿河国の一之宮です。 由緒については、ヤマトタケルが山宮の地に浅間大神を祀ったのが最初とされ、その後の806年に、山宮(山宮浅間神社)から現在地に遷され、浅間神社の総本宮となりました。 直前に訪れた山宮浅間神社は、富士山本宮浅間大社の摂末社の位置付けになりますが、やはり歴史は山宮浅間神社の方が古いことになります。 鳥居から参道を行った先には「桜の馬場」があり、毎年5月のGW期間には流鏑馬祭りが行われるそうです。 流鏑馬像 この流鏑馬祭りは源頼朝が富士の裾野で行った巻狩りに由来しています。 (ちなみに「曾我兄弟の仇討」で知られる曾我五郎と曾我十郎の曾我兄弟が、父親の仇である工藤祐経を討ち果たしたのが、この巻狩りの時でした) 桜の馬場の先には楼門があり、楼門の手前には「鉾立石」が置かれています。 鉾立石 山宮浅間神社にも鉾立石がありましたが、神霊を宿した鉾が本宮と山宮を往復する「山宮御神幸」で、その鉾を休めるための石です。 楼門 富士山本宮浅間大社の拝殿は、徳川家康の造営によるものです。 拝殿 拝殿に裏手に回ると、同じく徳川家康の造営による本殿がありました。 本殿(国指定重要文化財) 浅間神社独特の「浅間造」の建築様式です。 拝殿の隣には「富士山頂奥宮境内地行政訴訟勝訴之碑」と書かれた碑が建っていました。 富士山の八合目以上は聖域とされ、山頂には富士山本宮浅間大社の奥宮があります。 江戸時代に幕府によって富士山本宮浅間大社に八合目以上の支配権が認められましたが、明治時代に八合目以上の土地が国有化されました。 そして昭和49年(1974年)の最高裁判決を受け、平成16年(2004年)に八合目以上が浅間大社に返還されています。 浅間大社の境内には「湧玉池」という池があり、富士山の雪解け水が溶岩を通って、毎秒3.6キロリットルの水が湧き出ているそうです。 透明度が高いので、画像にすると一部底が干上がったように見えてしまいます。 富士山の修験者はこの池で身を清めて、「六根清浄」を唱えながら登山する慣わしだったそです。 ちなみに以前放映されたNHKの「ちこちゃんに叱られる」では、「どっこいしょ」の語源がこの六根清浄だと紹介されていました。 この浅間大社から富士山興法寺(村山浅間神社)を経由する登山道が「大宮・村山口登山道」で、六合目以上の登山道が世界文化遺産の「富士山域」の構成資産となっています。 ユネスコ世界文化遺産「富士山 信仰の対象と芸術の源泉」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/08/27 09:28:48 PM
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