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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(栃木編)
屋島の戦いの那須与一を輩出した下野の名門那須氏。
その那須氏の発祥の地が、栃木県那珂川町にある那須神田城です。 現地にある縄張図を見ると、方形の曲輪に堀を巡らしただけの、典型的な中世武士の居館のようです。 縄張図 平安時代に築かれた居館跡ながら、その遺構がよく残っていました。 北側の水堀 縄張図を見ると、北側は二重土塁になっていたようですが、外側の土塁は跡がわずかに残っているだけでした。 彼岸入り前で、曼殊沙華が咲いています。 北側の土塁 かつて居館が置かれていた場所は水田となっているものの、周囲の土塁などもよく残っていました。 水田の向こう側には土塁も残っていて、かつての姿がよく偲ばれます。 北西側の土塁の隅 中世の居館でも隅櫓が建っていたのでしょうか。 那須氏の祖である藤原資家は、堀川天皇の時代(1086年~1106年)に、この地で横暴を極めた「岩嶽丸」征伐の勅命を受け、神田明神に武運長久を祈願しました。 岩嶽丸を成敗した藤原資家は、下野国那須郡を与えられ、本拠地として築城したのが那須神田城です。 (築城年は1056年、1105年、1125年の諸説ありますが、いずれにしても平安時代に築かれたことは間違いないようです) 北西の土塁の隅には、藤原資家が氏神として祀った稲荷神社が祀られていました。 藤原資家は須藤権守貞信を名乗り、那須氏の始祖となるとともに、神田城が代々那須氏の本拠地となりました。 第10代那須資隆の時に本拠地を高館城に移したようですが、那須資隆の子である那須宗隆(与一)は、1169年にこの神田城で生まれたと伝えられています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/09/22 11:33:16 PM
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