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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(千葉編)
各地の香取神社の総本宮にして、下総国一之宮に君臨するのが香取神宮です。
利根川沿いの「利根水郷ライン」、国道356号線は何度も通っていながら、なぜかこれまで香取神宮を訪れたことはありませんでした。 初めて訪れる香取神宮でしたが、さすがは古くから崇敬を集めてきた神社とあって、参道商店街の賑わいにも歴史を感じました。 参道商店街入口 二の鳥居 ここからが表参道です。 木々に囲まれ、長く曲がりくねった参道の先には、三の鳥居が見えてきました。 三の鳥居の先にある「総門」は、残念ながら修復工事中でした。 総門 香取神宮に限らず、よくあることなので気にしなくなりましたが、なぜ私が訪れた時に限って修復工事が行われるようです。 それでも総門の先にある「楼門」は、その姿を見ることができました。 楼門(国指定重要文化財) 天下泰平の元禄文化華やかなりし元禄13年(1700年)の造営で、「香取神宮」の扁額は日露戦争の英雄、東郷平八郎元帥によるものです。 拝殿に着いてみると、さすがは香取神宮とあって、参拝にも行列が出来ていました。 拝殿 祭神は「経津主神(ふつぬしのかみ)」です。 拝殿の背後にある本殿は、楼門と同じく1700年の造営によるもので、国の重要文化財に指定されています。 香取神宮は古来より常陸国一之宮の鹿島神宮と深い関係にあり、地理的に見ても利根川や北浦を挟むように鎮座しています。 鹿島神宮と同じく、香取神宮にも置かれているのが「要石」で、鹿島神宮・香取神宮共に、地中に棲む大鯰を抑えるために置かれたとされています。 表参道から分岐する「要石道」 要石 香取神宮の要石は凸型で、鹿島神宮の要石は凹型をしています。 鹿島神宮の要石(2013年3月) 香取神宮の凸型の要石も、鹿島神宮の凹型の要石も、地表に出ているのはほんの一部分で、大部分は地中に埋まっているそうです。 香取神宮の要石と鹿島神宮の要石、その両方を掘り起こそうとした人がいたそうで、それがこの人でした。 ご存知「水戸のご老公」、徳川光圀です。 (2012年12月、水戸城三の丸にて) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/10/11 08:06:34 PM
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