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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(群馬編)
ユネスコの世界文化遺産、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産の中で、最もアプローチが難しかったのが、荒船風穴でしょうか。
史跡名は「荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡」ですが、世界文化遺産では「荒船風穴」として登録されています。 群馬と長野の県境近く、ここに荒船風穴があります。 長野と群馬の県境は、碓氷峠に代表されるような勾配とワインディングロードが続き、国道254線だけでもかなりの登りになります。 さらに国道254号線から分岐してからは、一部離合困難な細いワインディングが続きました。 (さすがにゼットも2速入れっぱなしで緩々と) 駐車場からは徒歩で行くしかなく、舗装道ながらさらに斜面を下って行きました。 荒船風穴遠景 この上に建物が建っていたようです。 「風穴」と聞いて、まずは鍾乳洞を想像してたのですが、野面積みの石垣だったのが驚きです。 第3号風穴の石垣 第3号風穴内部 第2号風穴 鍾乳洞では、年間を通じての洞内温度は14℃前後で、夏は涼しく冬は暖かい天然のエアコンといったところです。 荒船2号風穴では、真夏でも3℃前後しかなかったそうで、天然の冷蔵庫といったところでしょうか。 2号風穴の温度 外気温20.1℃で、風穴内部は野天でも4.1℃しかありません。 (温度計に写っている赤白の縦じまは、私のカープタオルです) この温度に注目したのが、庭屋清太郎と千寿の親子でした。 高山社に在学中の庭屋千寿が、父である清太郎に蚕種(蚕の卵)に適した場所であると報告し、清太郎が蚕種の貯蔵庫の建設を始めたのが、明治38年のことでした。 明治38年9月竣工の第一号風穴 それまで蚕種は年1回の春蚕だけでしたが、荒船風穴の蚕種保存庫が完成したことにより、夏秋蚕も養蚕が可能となりました。 年1回の養蚕が年3回となり、さらには農業の閑散期にも養蚕ができるため、繭の増産が可能となりました。 「大量生産」と「品種改良」がキーワードとなる「富岡製糸場と絹産業遺産群」において、荒船風穴を養蚕に利用した技術もさることながら、その発想こそが文化遺産に値すると思います。 荒船風穴から駐車場へ戻る登り道をひたすら歩いていると、これから荒船風穴に向かう人とすれ違いました。 おそらくあまりにアプローチがしんどかったのかと思いますが、いきなり「見る価値ありますか?」と聞かれました。 「人によると思いますが…」と苦笑いでしたが、その後の歴史を考えると、先人たちの足跡は一見に値すると思います。 ユネスコ世界文化遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/10/29 01:07:43 AM
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