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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(台湾編)
台南は台湾の歴史の縮図のような場所です。
台北からその台南まで、高鐡(Taiwan High Speed Rail 台湾新幹線)に乗ったのですが、実は高鐵と台鐵は別会社なので、高鐵台南駅と台鐵台南駅は全く接続していません。 高鐵台南駅から台鐡台南駅の移動だけで、シャトルバスで約40分の距離があり、横浜と新横浜どころの話ではありません。 さらに台鐡台南駅からタクシーで20分、高鐵台南駅から台鐡台南駅の移動だけで1時間かけてやって来たのは、安平にある安平古堡です。 安平古堡碑 安平古堡は、元々「Fort Zeelandia」(熱蘭遮城、ゼーランディア城)と呼ばれ、オランダ統治時代の1632年に築城された、台湾で最も古い城郭です。 安平古堡(Fort Zeelandia、熱蘭遮城)の展示模型 総レンガ造りで、3段の曲輪が連なる輪郭式の縄張りとなっていたようです。 赤レンガの城郭は、サトウキビと蠣殻を混ぜて積み上げられたもので、その高さも圧巻でした。 築城当時から残っているものかはわかりませんが、赤レンガとガジュマルの組み合わせが絶妙です。 隅石の部分 1602年に東インド会社を設立してアジアへ勢力を拡大していたオランダは、貿易の拠点を求めて台湾に進出しました。 当時の台湾は明の支配下にありましたが、明との講和が成立すると、貿易の権益を守るべく「Fort Zeelandia」(熱蘭遮城)の築城を開始し、1632年に完成しました。 現在も残るオランダ時代の外壁。 1662年には中国大陸から逃れてきた明の遺臣、「国姓爺」の鄭成功が熱蘭遮城にも攻め込み、オランダ人を排除して、「安平城」と改名しました。 城内にはその鄭成功の像が建っています。 「民族英雄」と書かれた鄭成功の像 清との対立に敗れて台湾に逃れて来た鄭成功ですが、同じく毛沢東の共産党との対立に敗れて台湾に逃れて来た蒋介石とオーバーラップするのでしょうか。 その後は鄭氏の拠点として機能した安平城ですが、清の時代になると城の重要性も薄れ、次第に荒廃していきました。 そして1868年、原住民とイギリス人との衝突に端を発し、イギリス海軍は安平城を砲撃、砲弾が弾薬庫に命中して城郭は大きく破壊されました。 城内には、当時の大砲が復元されています。 中国語の解説では、「防砲」と書かれていました。 日本統治時代の1930年には安平城に税務官舎が建設され、現在は安平古堡文物陳列館となっています。 日本時代の安平古堡文物陳列館 赤レンガの城郭の上にいきなり瓦葺の建物があるので、なんとも違和感があります。 終戦後に日本の統治が終わると、国民政府により「安平古堡」と名付けられ、現在は台湾の一級古蹟に指定されています。 関連の記事 和蘭商館(長崎・平戸市)→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022/02/02 07:22:52 AM
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