京都(4)~蛤御門
どうやら龍馬の墓付近に長居をしすぎたようで、後半の行程が厳しそうな予感。八坂の塔をかすめて八坂通を東に向かい、松原橋で鴨川を渡り、高瀬川に沿って木屋町通をひたすら北上しました。途中、三条通をちょっと東に入ると、池田屋事件の舞台となった池田屋跡があります。今は「池田屋」っていう居酒屋になっているんですが、もともとの池田屋とは関係ないようです。こちら→Googleストリートビューで現在の様子を異様にくっきりと見ることができますので、試しにクリックしてみてください。さらに進むと高瀬川に船が浮かんで・・いや、「置いて」ありました。ようやく高瀬川一之船入跡までやってきました。今は浅い高瀬川もかつては水運で栄えていたんですね~。写真を撮るのにちょうどいい石のベンチがあったので座って撮ろうと・・あ゛~!! 濡れてるうぅぅぅ・・今朝方まで降っていた雨のおかげでジーパンのお尻が水没しました。ジャケットの裾を引っ張ってごまかしつつ、なおも京都御苑目指して歩きます。木屋町通沿いには土佐藩邸跡や佐久間象山、大村益次郎遭難の碑なんていうのもありますが、ささっとiPhoneで撮っただけ。延々歩いてようやく京都御苑に富小路口から突入しました。こちらは堺町御門で、門の先に延びるのが堺町通。歴史のある門も今や公園の入り口です。九条邸跡付近から建礼門を望むと・・遠すぎ。天気のせいもあってか霞んで見えるくらいです。11時半までに出町柳駅にたどり着けるのか!?ようやく蛤御門にたどり着きました。これはLUMIX(LX-3)で撮りました。う~ん、今日のコースならLUMIXだけでもよかったかなぁ。本来の正式名称は新在家御門で、もともと閉め切りだった門を天明の大火の際に開門した=火にあぶられて開いたので「蛤御門」という俗称が付いたのが正式名称になったのだそうです。(以上、Wikipediaより要約)禁門の変の激戦地であり、今も門柱には当時の弾痕が残っています。この門を入った先に「清水谷家の椋」という古木があって、このあたりで来嶋又兵衛が撃たれ、自刃したといわれています。このあたりの話にはいろんな人物が登場しますがそれはさておき・・先を急がねば。これもLUMIX。この木の西には京都御所の長い塀がずっと続いています。建礼門を通り過ぎ、南東の角を北に向かって曲がるとさらにさらに長い塀が延々と続いています。これを歩ききらないと大阪に向かう電車に乗れません。ようやく出町柳駅に着いたのは、これに乗り遅れると間に合わないという特急の発車5分前でした。高瀬川で濡らしたジーパンはすっかり乾いていました。2012年1月22日(完)写真に断りのないものはすべて EOS40D + SIGMA 30mm F1.4 EX DC HSM