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カテゴリ:1000日修行
「 謙虚にして驕らず、更に努力を 」 京セラの稲盛和夫会長の哲学の一つです。 この度のライブドア堀江氏にしても、初めっから罪を犯してまで 会社を大きくしようとは思っていなかったはず。 事業が拡大していくうちに、お金、権力、地位、名誉というものが、 自分の”分”を超えていき、周りからチヤホヤ持ち上げられるうちに、 本来の自分の姿を見失っていったのだと思います。 このようなことは、私たちの日常の中で枚挙に遑がないのではないでしょうか。 会社経営でも政治の世界でも宗教の世界でも、 「金と権力」が組み合わさった世界の中で、多くの人がその”魔物”に、我を見失う。 その”魔物”を利用しようと、悪知恵を持った”悪魔たち”が擦り寄ってくる。 ”魔物”の威力を”悪魔たち”すり込まれ、”魔物”に心を奪われた者たちは、 まるで自分を中心に世界が回っているように幻想に溺れ、欲望のままに暴走を始める。 しかし、それが犯罪として発覚した途端、 ”魔物”の持ち主は、犯罪者として逮捕されすべてを失い、 ”魔物”を利用しようとした者は、次の獲物を狙い闇へと姿を消していく。 「才子、才に倒れる」と言われるとおり、 才覚にあふれた人は、ついそれを過信しすぎてあらぬ方向に行ってしまいがちです。 才覚が人並みはずれた者であればあるほど、それを正しい方向へ導く羅針盤、 ”魔物”に心を奪われないための、理念・思想という”自分の哲学”が必要です。 このことは、特別な人だけに当てはまるものではなく、 平凡な毎日を送る私たちにもとても重要なことなのです。 私たちも何気ない日常生活の中で、ボーっとテレビなどを見ていると、 ついつい有名人の言うことや、もっともらしく語る評論家たちの言葉に流されてしまいます。 また、友人知人の誘いや、営業マンの勧誘に乗せられ、その場の雰囲気に流されてしまい、 分不相応な買い物をしてみたり、変な宗教に入らされたりします。 最近は、次から次から出てくる”詐欺師”により、言葉巧みに騙されて 取り返しのつかない事態にまで追い込まれる方が急増しています。 なぜこれほど多くの人々が、 周りのものに左右され流されていくのでしょう? それは、”自分を高める”という 「 心の指針 」 を持ってないからではないでしょうか。 ”自分を高める” 知識や教養、肉体だけでなく、”精神性”にも重点を置き、 自分を心を磨くということは、今の日本人には最も必要ではないかと思います。 「 自分を心を磨く 」 = 「 自分の哲学を持つ 」 と、捉えてみてはいかがでしょうか。 無宗教の国、日本では、おかしな新興宗教が蔓延し、 宗教心や道徳心すら、何か危ないものように敬遠されがちです。 精神性を重視した話をすると、すぐに”宗教か?””勧誘か?”と勘繰られます。 私が、様々な 「 生まれてきた意味 」 を問う本を読んでみて思ったことは、 「 何のために生まれてきたのか?」 それは、「 自分の魂を鍛えるため 」 ということでした。 この世は 「 自分の魂の修行の場 」 と捉えることが出来た時、 私は、生き方・考え方が大きく変わった、というより楽になった気がします。 「謙虚」という姿は、日本人のとても美しい姿です。 「謙虚」という言葉は、消極的なイメージがあるかと思いますが、 実は、これからの時代は、確固たる ”自分の哲学” というものを持ち、 尚且つ、積極的に行動を起こし見聞を広め、新しい時代の中に 古き良き思想を組み入れていく。 柔軟な視点から、新しい文化を受け入れ、自分が持っている”哲学”と融合させていく。 そんな、積極性が求められる時代だと思います。 そのような生き方の中に求められるのが、「謙虚」な姿勢ではないかと思います。 何も努力をしない、何も知らない、ただおとなしくしていることを 「謙虚」と勘違いしている方がいらっしゃいませんか? そうではありませんよ~。 自己を高める努力を惜しまず、社会に役立とうとする気持ちを持ち、 日々を生きる。 こうして得た、自分の知識・智恵というものを私物化することなく、 世の中のために使ってこそ、真の「謙虚」な姿なのではないでしょうか。 「謙虚にして驕らず、更に努力を」 肝に銘じて生きたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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