事を謝するは、まさに正盛の時に謝すべし
『事を謝するは、まさに正盛の時に謝すべし。身を居くは、よろしく独後の地に居くべし。徳を謹むは、すべからく至微の事を謹むべく、恩を施すは、務めて報いざるの人に施せ。』(官位を去るのは全盛を極めている時がよい。退任後に身を置くのは名利などの争いのないところがよい。善行を積むのは極力小さなことから積むべきだし、恩を施すのは恩返しのできない人に施すがよい。)現職から退くのは正盛の時とあるが、言い換えると、最も退き難い時でもある。責任ある地位から退いて気楽な余生を送りたいという人は少ないようで、まだ、働ける、我輩が退いたあとが心配だ、などと自分勝手な理由をつけて居座ろうとしている。周囲では、退いた方が会社のためと思っているが、本人は去った後が心配と考える。多くの場合、去った方が安心なのである。近年、よく大企業のトラブルの責任をとって去っていく人もあるが、中には去るべき時に去らなかった悔いを残した人もいるのではないか。現在上場している会社の社長だが、社長らしからぬ態度に退任を迫ったが応じず、株主総会の決定によることになった。それでも社長の椅子にしがみついて離れようとしない。結局、株主総会の決議で退任を余儀なくされたが、第三者から見ても当然の決議としてむしろ歓迎されている。天下に恥をさらすために社長になったようなものである。別記したように、私は第二の会社へ再建目的で入社したが、達成完了後ではなく達成見込みがついた段階で退いてしまった。銀行の任務は経済社会への奉仕にあると考えていたからで、会社再建に奉仕すれば事は終わりと考えたからである。先日講演先で中堅会社の社長から相談を受けた。「今度社長を退いて長男に譲ろうと思うが、会長になったら、どういう仕事をしたらよいでしょうか」ということであった。私はこう答えておいた。「会長になったら、相談に答えるだけで会社の経営はすべて新社長に一任し、あとは趣味、社交で時間をつぶし、気楽に暮らすことでしょう。ただ、こういうことは心に留めておくことも必要です。昔、豊臣秀吉に仕えた黒田如水は引退後に急に短気になり、些細なことで家来たちを叱りとばすようになった。見かねた城主の長政が、『家臣たちが困りきっておりますから、今少し穏やかに願います。』すると如水は『わしが口うるさくすれば、その分おまえを慕うようになるだろう。わしがうるさくしているのは、おまえと、黒田家のためにやっていることなのじゃ』と。会長の任務といえば、社長を立派に育て、会社の発展を希うだけでよいのではないでしょうか。」さて、私自身の引退後だが、別に述べたように、文字どおり「晴耕雨読」の生活。その間、飢えれば食い、眠けりゃ休む、一日一回昼寝一時間、晴れれば、鎌かスコップを手にし、疲れれば捨て石に腰を降ろす。そうした時、自然に出てくるのが、白楽天の詩。「日高く睡り足りてなお起くるにものうし。小閣に表を重ねて寒さをおそれず」と詠いだす。遺愛寺の鐘は聞こえず、香炉峰の雪を見ることはできないが、たわわに実っている柿やミカンを見ることができる。この項の終わりに、銀行員の頃の思い出話を一つ。スポーツ用品メーカーの美津濃の創立者、水野利八元社長と対談した時、社長から、「あなたはんは学校も出なんで、よう大銀行の専務さんになられましたな」と、名刺交換の際に言われ、返事に戸惑ったことがある。今にして考えると、学歴のない私は単純な知識、言い換えれば物事の基本となることを学ぶにしかずということで、たとえば人の用い方の基礎である「仁」、処世の基本である「礼」を身につけるよう努力した。経営に当たってはその基礎である「徳」に徹した。これが自分の肩書につながったのではなかろうかと、自己採点、自己満足しているわけである。 <終> (『菜根譚』を読む 井原隆一著より)