頑張ったお義父さん
10月13日、夫の父が85歳で亡くなりました。一昨年の夏、肝臓がんが見つかり、その時点で余命1年と言われました。それでも自らいろいろな治療法を探し、試して、少し良くなったりもしたのですがその後他のところにも転移し、ついに緩和ケアの状態になりました。9月初旬に入院した時点で、夫から「あと1,2か月だろう」と聞いたので、お見舞いに行きました。今年はコロナ禍だったで、会ったのはお正月以来でした。体は少し弱っているようでしたが、頭はしっかりしていて、老人ホームにいる私の両親の事を心配してくれたりしました。9月下旬に病院から老人ホームに移る予定でしたが、やはり家がいいとのことで在宅介護になりました。幸い5人の子どものうち義姉と義妹は父の部屋と同じ建物に住んでいます。義兄もごく近くに住んでいて、うちの夫は仕事で毎日義兄の家へ行きます。義弟は栃木に住んでいますが、比較的時間が自由になる仕事です。そんなわけで24時間、5人が交代で付き添う在宅介護がはじまりました。ありがたいことに私の出る幕はほとんどなく、仕事が休みの数日に、数時間交代して付き添った程度でした。医師からはあと1,2週間…あと数日…、と言われていたのでみんな徐々に心づもりをしていきました。仕事を休みにしていた13日の10時頃、危篤との連絡があり、車でかけつけました。他のきょうだいや孫たちも集まってきましたが、その後は危篤状態と言われた時よりも安定した状態が続きました。めったに来ない息子も、午後休みを取ってやってきました。夕方になり、仕事を終えた義兄や夫も集まってきました。きょうだいが揃い、葬儀の段どりの話なども一通り済んだのは20時頃でした。義父はやはり安定した状態のように見えました。危篤状態が数日続く人もいるなどという話も聞いていたので「おとうさんもそうなのかも」…ということでその夜泊まる義弟を残して、一旦解散、ということになりました。息子を最寄り駅まで送りがてら車で5分程走ったところで、義父の様子が変わった、と連絡がありました。慌てて引き返したのですが、その時はすでに間に合いませんでした。同じ建物の義姉や義妹でさえも間に合わなかったそうです。危篤状態だったとはいえ、あまりに突然のことで、みんなあっけにとられたような気持でした。でも、義父は夕方みんなが揃うまで待っていて、みんなの話し声を聞き、葬儀のことも一通り決まり、みんなが帰ったことで安心して逝ったのかもしれない…。そうとしか思えない最後でした。週末の葬儀には娘も名古屋からやってきました。意識がなくなる前夜、LINEでビデオ通話ができたことはせめてもの救いでした。がんで余命を宣告されるという事は本人にとっても家族にとっても辛いことだと思います。でも、身の回りを整理したり、お別れを言う時間が取れるという事は他の病気よりも良い点かもしれません。8年前に亡くなった義母は脳梗塞で倒れ、意識不明のまま逝ってしまいましたから。また、義父の場合は子供や孫達の多くが近くにいたので、最後まで家族との時間を過ごすことができました。最後の半月程は、子供の4人と孫の5人はほとんど毎日のように顔を出していたようなので、とても幸せだったのではないかと思います。在宅介護はとても大変なことだと思いますが、きょうだいが多く、近くにいたこと、また義妹は一時介護の仕事をしていたこともあったからこそできたことではないかと思いました。お供え用 胡蝶蘭「特選胡蝶蘭 5本立 白」と「漆芸電報」のセット 送料無料 60輪以上 大輪 供花 フラワー お供え花 仏花 枕花 電報 弔電 葬儀 葬式 通夜 告別式 法要 法事 会場直送 初盆 彼岸 四十九日 一周忌 命日 立て札 即日発送 翌日配送 あす楽