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テーマ:海外生活(7779)
カテゴリ:幼少年期
子どものとき、「子どもが行ってもトシマエン」と今はオヤジギャクを飛ばす豊島園の近くに住んでいた。毎月「1の日」に練馬駅前通りに「縁日」が出る。バナナの叩き売り、金魚すくい、駄菓子屋、オモチャ屋なんかが私の好きな定番だった。
「お兄ちゃんが小学校の遠足のとき、バナナを1本買って持たせたのよ。でも、タコには絶対に内緒にしてね。皮はちゃんと捨ててくるんだよっていってね。あの頃、バナナが高くて家も貧乏だったから1本しか買えなくて、お前には買えなかったのよ。」 帰国時に母が話してくれた。私には3学年上に兄がいる。縁日では、大きな房のバナナが新聞紙にくるまれて売れていく。私は、ただそれを見ていた。どんな大尽の家が買うのだろうかと口を開けていた。 「坊や、メスだよ、メス!」ひよ子を売っている店のおじさんが、私の弱みに付け込んだような言い方で言う。だから、買ってしまう。父親に怒られる。二羽買えば、どちらかはメスだと思うから二羽買う。でも、実際は100%オス。そして、母親に怒られる。だいたいは、数日で死ぬ。湯たんぽを入れたりして一生懸命面倒みるが死ぬ。ところが、あるとき、二羽買った内の一羽が産毛も抜けて大きくなった。狭い家の中を駆け回る。父が、にわか作りの小屋を作ってくれた。 この鶏、一日中時間にかまわず「コケコッコー」。ぎっしりと詰まる長屋で、いつ苦情が出てもおかしくない。因みに、今多くの時間を過ごしているフィリピンでは鶏がそこら中にいる。食用と、闘鶏の為に育てている鶏だが、一日中鳴いている。こちらに来る方には耳栓を持って来られるように言っている。 ある日、この大きくなった鶏が逃げて父が追いかけまわし、薄くなった頭から湯気を出していた。父を初め、家族中がこの鶏を持て余すようになっていた。 父は三日に一度泊まりがある警察官。翌日は朝帰って来て寝る非番の日。そんなある非番の日、学校から帰ると鶏の小屋が無くなっていた。「今日は久しぶりに鶏鍋だよ。」母が、いつになく明るくそう言った。ひよ子の時は本当に可愛かったが、大きくなってそれが無くなり、目つきも怖くなっていたし、うるさくて正直のところ私もこの鶏から気持ちが離れていっていた。 その夕方、四人の食卓は鶏鍋だった。私は、箸が進まない。一口食べた。すごくまずかった。いつもの鶏の美味しさはなかった。私は、ほとんど食べずに夕食を終えた。そんな時には父にちゃんと食べないと駄目だと叱られる。でもその夕方は誰からも何も言われなかった。 その晩ずっと口の中がまずかった。それからは、縁日に行ってもひよ子は絶対に買わないことにした。生きものは金魚とか、食べなくてもいいものにすることにした。 毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。 タコ社長の本業・オーストラリア留学 タコのツイッター Twitterブログパーツ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013年08月22日 16時30分31秒
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