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テーマ:海外生活(7773)
カテゴリ:移住模索期
ギリシャの大富豪、オナシスが言ったという。
「どんなに小さくて貧弱な家でも、名の知れた有名な地域に住め。」 どちらかというと富豪に弱い私、メルボルンの田園調布と言われているトゥーラックに住むことにした。ある日、歩いていたら30分間に5台のロールスロイスを見た。人が金持ちなのを自慢しても何も始まらないが。 家具付きの一部屋のスタジオタイプで、当時週75ドルだった。隣の部屋には、日本人のワーホリの男女4人が済んでいた。さすがに、そこまではできなかった。1985年10月のことだった。 ある朝カーテンを開けると、大きな窓ガラスに黄色い卵の線が太く何本も流れている。小さな殻なんかもひっついていて、朝日に当たって綺麗だ、なんて思ったわけではないが、一瞬、何があったのか飲みこめなかった。投げられて間も無かったら、ちょっときれいに取って、朝食の生卵ぶっかけご飯とかに利用できたのだが、残念ながら固まっていた。拭き取るのが大変だった。トマトなんかにしてくれれば、どんなによかったことか。友人を呼んで夜中に騒いだのが原因だったのだろうか。 それから少しして外出から帰ると、住人用の小さな郵便ポストに貼り紙がしてあった。住人の多くが目にしていたことは想像に難くない。 「8号室のこの男、次から次へと女を連れ込んでいる酷い奴だ。」 褒められているのではないことは分かった。確かに、火のない所になんとやらではあろう。お付き合いさせていただいていた方もいて、部屋ですき焼きなどをご馳走したこともある。しかし、ここまで来ると逆恨みといってもいい。 そうこうしている内に、今度は泥棒に入られた。小銭と、大切な方からいただいた腕時計 をやられた。私服の警官が1人で来て5分ほどいて帰っていった。その潔さを、実家の東村山に住んでいた、警察官の父に報告したいくらいだった。殺人でも犯さないと、まともに扱ってもらえないのだろうか。富豪のいう事なんか聞いてろくな事はない。 このアパートから、毎日歩いて片道30分ある日本食レストランまで通っていた。そこで、あるアルバイトをしていた。トラムと呼ばれる路面電車に乗って行くこともあった。ある日、その停留所で待っていたら、車が止まって日本語で乗らないかと言われた。小柄で細面の中年日本人女性だった。 「ワーホリ?大変ね、日本人だと思うとすぐ載せたくなっちゃうの。頑張ってね。」 10分ほどのドライブだったが、不思議と胸が熱くなった。昔、いろいろ苦労して長く住んでいる方だったのだろうか。 あれから28年になるが、卵による被害はあのときだけだった。もっとも、あのアパートの上の住人、人種差別とかではなく唯単に嫌がらせが好きな方だったのだろうが。 毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。 タコ社長の本業・オーストラリア留学 タコのツイッター Twitterブログパーツ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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