富士登山、挑戦したことがあった、しかもMといっしょに
Sといっしょじゃなかった、とかいう話ではない。「富士山に登らない?」久しぶりに高校のクラス会で会って意気投合したMと富士山に登ることになった。1983年のことだった。Mは私が高校時代2年間、狂おしいほど片思いした女性だ。その時はバツイチ独身、小学校教諭をしていた。私の方は、社内恋愛に破れ独身貴族ならぬ、独身平民生活を低空飛行していた。富士山は一度登頂に失敗していたので、是非登ってみたかった。実は、この二度目の挑戦も8合目で酸欠で断念、無念の涙となってしまった。その夜は富士宮のホテルに泊まることになっていた。食事の後、カラオケに出かけた。客のいないステージで2人でふざけ騒いだ。酒に強いMの飲み方が尋常じゃなかったのが気になった。私も富士登山失敗でやけ酒が進んだ。ホテルに戻った。経済的な理由ということで部屋は一つだった。あんなに思い続けていたMと富士山の裾野の富士宮で、こうして同じ部屋にいる。当り前だが、他に誰もいない2人っきり。「タコ君、飲もうよ!飲もうよ!」と持参した角瓶を持ち上げたところでMは急にトイレに駆け込んだ。ところがMはトイレに入ったまま出て来ない。心配になりドア越しに何度も何度も話かけたが気持ち悪いといいつつ出て来ない。ドアは内側からロックされていた。その内、声もしなくなった。寝付けない不思議な夜となってしまった。こんな手もあるのか、などと思った訳ではないが。1976年6月のアリと猪木の格闘技戦のように、誰も予想だにしなかった戦法の展開となった。不戦勝か不戦敗か分からないが。そして、そのまま朝を迎えた。何とも不完全燃焼の富士登山となった。富士山もMも、私にとっては役不足だったと思うようにしている。I’ve tried to climb Mt Fuji in 1983 but,,,,毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学