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カテゴリ:三女の私の思うこと
姑の事故死から一か月、日常には戻っているけれど、
苦々しさが付きまとう。 先日、うちに泊まりに来ていたお嬢とも話していたのだが、 もう10年以上姑とは会っていないので、 悲惨な事故死でざまぁみろ、という感情もないし、 かといって、こんな目に合わなくてもいいのに、という気持ちもない。 なるべくしてなった結果だ、と思うから。 そもそも、なぜ10年以上あっていないか、というと、 3.11の震災の2年ほど前、震源地はほぼ同じで、大きな地震があった。 津波の被害はなかったから、それほど話題にもならなかったけど、 内陸部の被害はそれなりにあった。 それに対し、沿岸部の人たちが、「内陸だから関係ない」と観光誘致をしていたぐらい。 内陸部の被害が少なかったのには、もう一つ理由があって、 国体の開催地で民泊のために、補助金がでていたので 建て直しをした家が多かったのだ。 ビルやマンションがある地域ではないので、派手な被害は見えない。 実際には、山の形が変わるほどの地滑りがあったりしたんだけど… この時、義兄の住む古民家は半壊認定を受けていて、 敷地内にあった牛小屋(すでに牛はいなくて、屋根だけの状態)は 全壊認定され、取り壊しをしている。 で、この時から帰省していないのだ。 それまでは、経済的や日程的にどれだけ言っても年3回帰省していたのに。 姑は、私の母が生きている頃は、「いつ帰省するんだ」とうるさかったのに 母が亡くなったらぴたりとやんだ。 どうやら、女児のみのうちに対して、自分は男児でなにかというと帰省してきてにぎやかだ、 とマウントをとりたかったようだ。 母が亡くなる直前のお正月も、やはり帰省をせっつかれて、 行ける状態ではないことを話したのだけど、 「見舞いに行かせないなんて、恥をかかせた」 な~~~~んて罵倒されたので、葬儀の参列はお断りした。 車のないうちに、新幹線の駅まで迎えにこいっていうんですもん。 行ってられっか。 義姉から、どこそこが通行どめになっている、とか どこそこはこうなった、とか聞いているだけで、 散々、しつこく「自分の地元」と言っていたのに、切り捨てたのだ。 うちの配偶者は。 3.11の時も、知らん顔だ。 前回は、連絡の行き違いで姑が夕方まで行方不明になっていて、 結果、孤立した集落にいて、自衛隊に救出されたが、 3.11の時は、そもそも連絡がとれなかった。 幸いなことに、全員無事で、家の倒壊もなかった。 (後日、全壊認定された、と、今回初めて聞いた) 足りないものを送るでもなく、お見舞金を送るでもなく、 ボランティアに行くわけでもなく、ガチで役立たずだ。 そのあと、何回か単身で帰省しているそうだが、 なにをするかというと、飲んだくれているだけ。 ご機嫌で飲んだくれて、かわいがっていた姪に軽蔑されてからは行ってなかったらしい。 そして今回。 お通夜で飲んだくれて、周りの人をドン引きさせたんだとか。 舅が喪主ではあるけれど、義長兄がすべてやることになる。 義長兄は、姑の第一発見者でもあるので、やりきれない想いがあっただろうに。 舅が認知症は恥ずかしい、と長義兄にも隠していたので 「そこまで」とは思っていたなっかった分、衝撃もあったはず。 私の骨折でも、詳細も聞かずに逃げた配偶者なので 当然、問題山積みだった姑からも逃げていた。 逃げて知らん顔して、どんどん自分の居場所がなくなっていることに いつ気が付くのやら。 義姉が「最近、定年退職後に戻ってくる【単身者】が多い」と言っていた。 親の介護をするわけでもなく、居場所もなく、 甥や姪が引受人になっているという。 なんとなく、わかる。 高齢者が居住する場所ではないのだよ。 なんとか、自分の老後は自分でしようと、いろいろ考えている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年12月13日 10時00分11秒
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