カテゴリ:文化について
先日、二月七日に、「アイルランドと奈良の民話語りフェスティバル」にアイルランドのクレア在住の作家でありストーリテラーであるエディー・レニハンhttps://en.wikipedia.org/wiki/Edmund_Lenihanさんが登壇するというので行ってきました。
ご存知の通り、トラッドの音楽と、ストリーテラーは切っても切れない関係です。 ストリーテラーの話は、昔に起こった殺人事件、人生の教訓、恋物語、歴史もの、妖精物語、ほんとうの話、奇妙な話などを、表現力豊かに話だけで聞かせるものです。 話に節をつければ何十番もある長い歌詞のある歌になったりもします。節がよくできていれば器楽演奏されるものもあります。エアの中の歌由来と言われる中にはそういう場合もあるのです。 夜になると闇に帳が下りるような電気のない時代には、怖い話、奇怪な話が、よりリアリティーをもって人を惹きつけたのではないでしょうか。そういう話が多い印象です。 ストーリーテラーの、人々を物語に引き込むような語り口に関しては、日本でいえば落語に似ているかもしれない、と、私は思っています。 エディー・レ二ハンさんを見ていて、ストリーテラーは、声優(私は市原悦子さんの日本昔話のTV番組のシリーズを思い出すのですが)や落語家のように、そういう役者っぷりの強い人が向いている、ある種の才能によるところがあるのではないかと思わずにはいられませんでした。 さて、日本の昔話は、もはや「生きた話」ではなく、どちらかというと、本の朗読、または、それを暗記するという方法が普通だと思いますが、エディー・レ二ハンさんは1950生まれとのことですから66歳、子どものころ年寄りから聞いた話を記憶して語っているまさに「生きた話」です。こういう人の話を直接聞けるのは驚きです。 いくつかのお話のうちで、クレアの盲目パイパーのギャレット・バリーが、ある家で体験した取り換えっ子(changling)の話がとりわけ興味を引きました。 みなが出払った家の中でギャレットがパイプを気ままに演奏してると、かごの中の赤ん坊が立ち上がって、「お前さんの演奏もなかなかだが、俺はもっとうまいのを聞いたことがあるよ。」と、しゃべりました。家の人たちが戻ってきたところで、それを話すと、主人が火箸をまっかに焼いて、赤ん坊に近づけると、「ギャッ」と叫んで妖精が窓からすっとんで行き、その家のほんとうの赤ん坊がドアの外に戻されて置かれていた、という話です。 ギャレット・バリーは、フィドラーのみなさんもご存知の秀逸なチューンGarrett Barry's (Jig)のその人で、彼は、1899年没ですから、ギャレット・バレーの間に1~2人はさんで、レニハンさんが聞いた話、ということになるので、ギャレット・バリーを大変身近に感じ、すごく不思議な気分になりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年02月08日 17時11分35秒
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