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カテゴリ:日々のこと
今日、以前ブログに書いた、以前の職場時代に知り合ったお年寄りに会いに行ってきた。
といっても本人は亡くなられており、正確に言うと 「お参りしてきた」になる。 亡くなったあと、お嫁さんがご本人の物を整理していて、 私の住所が大事にしまわれているのを発見してお手紙を下さったお宅だ。 可愛いものが大好きで、手先が器用で、おしゃれで、それでいて周りに気を使う人で、 いつも凛としていようと努力しているような人だった。 可愛いものが好きだったその人の為にお花を買っていく。 お邪魔すると、お孫さん(自分と同じぐらいの年代)と曾孫さんも来ていた。 お嫁さんは明るく、わりとはっきりとしていて、彼女とも良く私の前でも言いあいをしていた。 でもその掛け合いにはいつも愛があふれていた。 現に、言い合いをしたあと彼女はいつも後悔し、「ごめんね」とお嫁さんに言っていた。 彼女はそれが活力となって凛としていられたのだと思う。 いつもお嫁さんを頼りにしていた。 本当にうらやましくなるような嫁姑関係だった。 私はこのお二人が大好きだった。 もちろんお孫さんや曾孫さんのことも良く聞かされていたし写真もみせてもらっていた。 皆さん快く招き入れてくださりお礼をいってくださった。 遺影の彼女は今にも話しかけてきそうな笑顔だった。 とっても素敵な写真だったけど、急すぎてやっぱり亡くなったことがなかなか受け入れられなかった。 でも、お嫁さんが癌が見つかるまでと、発病してから見取るまでの話を、観察日記を私に見せながら話してくれた。 リンパ系の癌でお医者さんに言われたときはわりと進行が早くて半年ぐらいかと言われたらしいが それよりもあっけなく、悪くなってからわずか1,5ヶ月で亡くなられた。 高齢者の癌では異例の速さである。 だから私も亡くなるなんて考えも付かなかったのです。 もちろん家族も。 だからお嫁さんは「変わらずずけずけ言っちゃったのよね。」と言っていた。 ノートの記録は詳細で、壮絶だった。 でも、本人は出来る限り最後まで家にいたくて、出来る限り自分でやれることをやって いた。オムツもぎりぎりまで拒否し、ふらふらになりながらなおトイレに通おうとしていたそう。 ノートにはお嫁さんの気持ちも現れている。時々横にマークが書かれていたり、字があれていたり。もちろん、短い期間とはいえ、不眠で付き添い、いらつくこともあったろう。 でもお嫁さんが言っていた。「本人がいやがるから自宅で皆で看たけど、病院で看取ってたらきっと後悔してたとおもう。だから今は不思議と悲しくないのよ」と。 本人のしたいように皆で協力して送り出せたから良かったと。 すべて楽しげに笑顔で話してくださった。 私も心から良かったと思いました。 だって本人は自宅を望み、一番に家族といることを望み、最期のそのときをじっと息子さんとお嫁さんに看取られながら逝けたのだから。 寂しがり屋の彼女が寂しくなく、こうしてお孫さんたちも頻繁に来てにぎやかな所にいれるのが 私にはほっとしました。 そして、うらやましかったです。 人の死は悲しいけど、そのことによって尽くした人はきっと幸せになれる気がします。 それに尽くした親を見た孫、ひ孫の心にもきっと暖かい光がともっているはずです。 私も家族の為に尽くせる人でありたいと思いました。 そして彼女のように凛とありたいと常に努力したいと思います。 今日は良い日でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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