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カテゴリ:日々のこと
昨日、夜、うちの電話がなりました。
主人が取ってくれましたが、私宛。 以前の職場の同僚からだった。 この時点で予感していた。 「~さんが亡くなったって。お通夜は明日で・・・・」 この方とこの方の家族は私の介護人生において多大な影響を与えた人達でした。 彼女は90近く。私が以前の職場に入った5年半前のときにはもう、アルツハイマーが進行し、歩行はやっと、発語も少し。「うん。」とか「痛い。」とか。時々刺激が強いと思い出したように「いいねえ。」とか「あんたもか。」とか歌を口ずさんだりとかしていた。 人の話はよく聞いていた。私達の声に、笑ったり、反応を敏感にしていました。 家族は一生懸命愛情を注いでいました。 娘さんとお婿さん。そして30過ぎた離れている息子さん。 連絡帳に毎日コメントのある家族が少ない中、ここのお婿さんは小さい枠いっぱいはみだしそうになるくらい今日の体調や、気をつけて欲しいこと、あった出来事を書いてきてくれていた。 とにかくどんどん落ちていく筋力、忘れていく日々の行動、それが少しでも進行が防げるように最大の努力をしていた。毎日話しかけ、歩行が困難で介助が厳しくなっても出来るだけ歩かせ、出来るだけ、車椅子に頼らずやっていた。その努力をを見ている私達も、出来るだけ、家族と同じように出来るようにと努力した。 私はパートさんに指示する立場で、何度も「出来ない。」と愚痴をこぼされたが、「家族が一生懸命やっていて、プロの私達ができませんなんて言える?私ができるだけフォローするから 家族の努力を無駄にしないようにがんばろう!」と励まし、自らできる限りと歩行させたりしていた。 なぜ、パートさんが嫌がったかというと、彼女は皮膚が非常に弱く、少し強く持っただけで内出血になったり、皮膚剥離が起きたりしやすかった。機能が低下してリスクがおおきくなっている状況で別のデイに行くと傷を作って帰ってくると家族から聞かされていた。 時々それも職場でも起こり、そのつど報告し、謝罪することも出てきていた。 そんな時でも、家族は穏やかに、そして厳しく私達に指示を下さっていた。 「あなた達はプロですから。」と。とても重い責任でした。 でも、その私達の努力を高く評価してくださり、週4回のデイが最終的には他のデイをやめ、 毎日私達のデイに来て下さるようになりました。 ここまで評価してくださるようになったのは皆で努力し、家族の気持ちにこたえてきたから。 そして本人の安楽を常に考えやってきたから。 そんな中でもどんどん彼女の体は不自由になっていく。 お尻にはじょくそう出来、家族でも皮膚剥離を起こし、そして私達も、最大限の注意を払っても剥離を起こしやすくなった。 体は硬縮が進み、立つ事、座位を保つことさえ困難に。この間、家族と話し合いながら車椅子をかえ、クッションなんかを入れたりと、本人が安楽なこと、家族が介護が楽になることなどを考えやっていました。本当に一緒に悩み、私も常に勉強させてもらっていました。 私がやめる頃には、声を発することもほとんどなく、体は硬縮が進み、食事を飲み込むことも困難でした。 でもそれでもずっと本人に毎日いろんなことを皆で話しかける。 声に反応し、目を大きくしたりしてはくれていました。 私が仕事の最終日、 私はお世話になった家族に最後の挨拶をしていた。 一緒にやってきた介護、あまり話さなくても家族とは分かり合っていいました。 私は、お婿さんとお嫁さんに話をしながら泣いていた。 そして傍らに車椅子に(リクライニング車椅子)座っている彼女に挨拶しようとした時・・。 彼女は涙を流していたのです 私の為に泣いてくれていたのです。 私は本当に嬉しかったです。 こんなに不自由になって、分からなくなってきているはずの彼女が私の別れを聞いて泣いてくれた。 それだけでも本当にありがたい事でしたが・・・。 家族より手紙を頂きました。それにはこう書いてありました。 「あなたの事は一生わすれません。」と。 介護を一緒に頑張ってきて良かったと心から思える瞬間でした。 彼女にあった最後はもう半年前。遊びに行った私の声に、目だけで声を聞き取るのがわかりました。 その数ヵ月後入院。そして最後には肺炎で亡くなりました。 その彼女の今日はお通夜です。 絶対行って御礼を言いたい。 「あなたに出会えてよかったです。ありがとうございました。あなたとあなたの家族の事は一生忘れません。」と お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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