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9月26日(土)、
仕事帰りに京都でのおむつなし育児のシンポジウムに行ってきました。 私だけ先に会場に到着してましたが、 おうちから車に乗って、パパちゃんと3人の子どもも会場に遊びに来てくれて、 私がシンポジウムを聞いてる間に、パパが花ちゃんと輝くんを遊ばせてくれました。 パパちゃん、ありがとう。大好き! 内容は、 「赤ちゃんにおむつはいらないー失われた身体技法を求めて」 と題したシンポジウムで 1 津田塾大学教授三砂ちづる先生の研究報告 2 おむつなし育児研究チームの和田和代さんの講演 3 おむつなし育児体験者の体験発表 という感じでした。 三砂先生のレポートはおむつなし育児だけに注目したものでなく、 赤ちゃんの排泄に向き合うことが、社会における弱者への共感・思いやりを育てる・・・ というか、お互いの弱さも受け入れ合う優しさを育むことににつながる・・・みたいな 結論になってて、あ~、あたたかいなぁと思いました。 和田さんの講演は、おむつなし育児の実践的なすすめ方とか 実例とかの紹介で、ゆる~~くすすめましょうね~ということを 何度もおっしゃってて、これもまた、あ~、わかりやすいな~と思いました。 が、前日の夜から朝にかけてもほとんど徹夜状態というか休憩・仮眠なしでしたので、 講演が進んだ午後2時を過ぎるあたりから眠くて眠くて、あくびをかみころしながら、 時々意識を失いながら(爆)。。。。でした。(すみません) 決して講演の内容があくびが出るような内容だったわけじゃないのですが、 優ちゃんも講演が始まってからぐっすりと腕の中でお昼寝してるし、 その寝息を感じてるとついつい瞼が重たくなって・・・・・・。 夢とうつつの間をうろうろしながら、講演を聴いてると、 う~~ん、なんというか、なんとなく私には、妙に引っかかる部分が ひとつふたつと浮かんでは消えていき、 講演が終わるころには、その妙にひっかかった部分だけが 光を浴びて浮かび上がってるような状態になっちゃって、 講演が終わるちょっと前に目を覚ました優ちゃんをトイレに連れて行って おしっこさせてから、ちょっと考え込んじゃう感じになり、そのまま会場をあとにしましたが 以来、ちょっと悶々としておりますです。 ので、書いちゃいます。 黙ってると、なんか、いつまでも悶々としちゃいそうなので、、、、。 たぶん、わたしが一番ひっかかちゃうのは、 「おむつなし」というフレーズなんだと思います。 三砂先生も「この言葉が一番ぴったりだとは思わないのですが・・・」 と説明してらっしゃいましたが、 わたしはずっと以前に「おむつなし介護」という言葉を先にインプットしてしまったので、 「おむつなし」は、文字通り「おむつを使わない」という意味に飲み込んじゃいます。 おむつなし育児は「なるべく」おむつを使わずに、おむつの外で排泄させてあげるという スタンス・意味で、この言葉を使ってますが、 おむつなし介護は、文字通り、おむつを一切使わないで被介護者の自立を促し 認知症などの発症を防ぐというようなものです。 赤ちゃんっていうのは、おむつをしてて当たり前という感覚がある私にとっては、 赤ちゃんを育てるのに「おむつなし」という言葉が使われるのがどうにも違和感があります。 逆に、自分の親が将来おむつを使うようになるというのはちょっと想像しにくいので 老人介護の現場で、当たり前のようにおむつを使ってるというのが異様な感じに思え、 そんな介護の現場で「おむつなし」という活動を進めるのは、すごくすんなり納得でき、 そんな「おむつなし」を知ったわたしは いずれ親を介護するときには、「おむつなし」介護を!とひそかに誓ったわけです。 そうゆう経緯があるもんで、いまだにどうもこの言葉は 「おむつなし育児」の意味するようには飲み込みにくい響きで私の耳に届いてます。 それと、もうひとつ。 おむつなし育児での便利なグッズのひとつに「おまる」があります。 ま、もちろん使う方、使わない方、いろいろだと思いますが。 私は使わなかった方なので、おまるについては、比較検討も経験者談もできないのですが、 ズボラーで有名な私ですので おまるにしても、補助便座にしても、あれは洗うのがめっぽう面倒くさそうに 感じて仕方ないのです。二度手間という感じがして、 便利!!というふうに思えないのです。。。。(あくまでも私の個人的感想ですよ~~~) 足を怪我して歩けない大人とか、足腰が弱ってトイレまで行けない高齢者などの場合、 そうゆう大人を抱えてトイレに連れて行くのは大変なので トイレのほうを持って来るという考え(ポータブルトイレとかオマル)は、 ごく自然な感じがするのですが、 赤ちゃんの場合、トイレまで歩けなくても、 体重も軽いから抱っこしたりしてトイレまで連れて行くことが苦じゃないならば、 わざわざ、トイレを赤ちゃんのそばに持って来る利便性が、 お世話する側にあんまりないような気がしております。 そんな感覚があるものですから、ホーローおまるで盛り上がった部分は ちょっとだけ違和感を感じました。 ま、これから寒くなる時期ですので、さむ~~いトイレに連れて行くと 赤ちゃんが嫌がる場合などはトイレを温かい部屋に持ってきて排泄させるというのも もちろんひとつの方法なんだろうとおもいます あと、たぶん、私が関西人だからか、両親が福岡弁だけど私が大阪人だからなのか?!?! トイレに「ささげる」という響きが妙~~~な感じでした。 特別すぎる言葉に感じて、講演の中で「ささげると」「ささげて」と何度か耳にしましたが 非常に特殊な感じに聞こえました。 これは方言によるものなのでしょうか? トイレに抱えておしっこさせるというイメージはつくのですが、 何度もその響きを耳にしてると、半分寝ぼけてたので(笑)いやに引っかかりました。。。 おむつなし育児にしても、ECにしても、0歳児トイレにしても、 結局やってることは大差ないとおもうんですが、 単語ができて、定義ができて、赤ちゃんの排泄が子育てにおいてある種「カテゴリー化」 されちゃうとなんだか「本家」とか「家元」とか「流派」とかある意味「宗派」みたいな ものができそうで、その中で成功とか失敗とか点・点で一喜一憂しちゃうというか縛りができそうで、 やっぱりママに力が入っちゃうんじゃないかな~という心配がよぎります。 トイレトレーニングなんて言葉も、私は最初、犬のしつけの本で見ましたので、 それが人間の子どもの育児書にも使われてるのを知ったときは衝撃でした。 今ではむしろ、人間の子どものしつけに使われるほうがメインでしょうか? トレパンという言葉は小中学校のときにはもちろん「運動着のズボン」を意味してました。 トレーニングするときのズボン。「Tシャツとトレパン持参のこと。」 それが、紙おむつのコマーシャルで紙パンツが取れる「「取れ」パン」という商品名として 使われだして以来、今ではすっかりおむつはずしの「トレーニングパンツ」として定着してますよね。 姉が育児してたころは、3層パンツなんかなければパンツを3枚重ね履きしとけばよかった という時代ですが、それはそんなに昔のことではありません。 スリングだって、私が花ちゃんを産んだコロにはまだ、「それ犬(ペット)が入ってるの?」なんて 質問されたママがゴロゴロいました。 まさかそんな袋にわが子を入れてるなんて!!というびっくりを与えてた時代は、 実はそんなに昔というわけではありません。。。 育児の様式が変わったから育児用語が変わったのか、 育児にまつわる言葉が変わったから育児様式が変わってきてるのか、 育児用品が先に開発されて、商品の広がりとともに育児が変わったのか はたまた子どもを生み、育てるということ自体がすっかり変わってしまってるのか、 よくわかりませんが、 とはいえ、やっぱり赤ちゃんってかわいいので、 今日、義妹ちゃんちの新生児ちゃん(9月26日生まれ!)を抱っこさせてもらって、 あ~~、もう一人産みたい~~と思った私です。 以上告白おわり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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