2月21日に2626グラムで生まれたあかりです。
私がA型で、あかりはO型です。
生後数日はかなり順調におっぱいを飲んで、
ぐっすり寝てくれて、
おかげで私も出産後順調に回復できて、よかったです。
生後4日目には、ぐんぐん体重も増えて一安心。
だったのですが、
5日目に、なぜだか体にブツブツが現れてびっくり。
ピンク色の抗生剤を哺乳瓶で飲んだら1日でさっとひいたけど、
なんだったんだろう??
その夜から、ちょびちょび飲みになって、1時間とか30分おきに
起きてはおっぱい。。。
そしておしっこ・うんちがちょっとでも出そうになると、または出ると
すぐに起きて知らせてくれます。
出たら出たですぐにおっぱい!!という感じです。
6日目7日目には体重が増えないばかりか、ちょっと減ってきて、
黄疸も強くなってきたので、午後からは光線療法です。
花も黄疸がきつくて、このベッドのお世話になったので、
今回もそれほど心配してませんでしたが、
結局、花とまったく同じような経過をたどりました。
血液型の関係と、体重が低いことが主な原因かな?
どれくらいの数値かというと
生後8日目で体重は2500gちょっと手前で、黄疸の数値が20。という感じです。
花のときの数値は記録がないのでわかんないんですが、高い数値ですね。ありゃりゃ。。。
私の体調は回復してるので、産後の過ごし方などの
指導という名目で、仲良しの助産婦さんとぺちゃくちゃおしゃべりしたりして
過ごしました。
退院予定日だった3月2日も昼過ぎから採血。
2時半頃に結果が出ましたが、その結果、退院の予定日が一日伸びちゃって、
せっかく退院のためにと仕事を休んで迎えに来てくれたパパや、
じーちゃん、ちゃーちゃんには申し訳なかったです。
食事を作ってくれたスタッフさんに、「お世話になりました」と
お礼のカードなど書いたのに、
夜には「一日伸びちゃったんですってね~」といわれながら食事を運んでいただき、
いつものお食事をいただいたりしてました。。。。
こんな緑色の光線療法(私はピッカリベッドと呼んでます)用の服もありました。
翌日には、体重が2500グラム台にのり、数値がぐっと下がって16だったので、
退院OKとなりまして、夕方5時半にようやく退院できました。
寒い時期に退院するの初めて。
風の強い3月3日ひなまつりの日でした。
♪あかりをつけましょぼんぼりに~~♪
無事に退院できてよかったです。
翌日3月4日は、リバウンドの検査のため、10時半に再び産院へ。
じいちゃんに車で送ってもらい、あかりは、足のかかとから採血。
何度も血を抜かれてるから、嫌がって、
足をクロスさせて先生の手を振り払おうとしたそうで、
器用な子やなぁと褒めてもらいました。
リバウンドの結果は18くらい。
まぁ、いいでしょうということでした。
そして、3月9日。1週間検診です。
あかりをベビーシートにしっかり乗せて
今回は私が運転して行きました。
1週間検診といっても、リバウンドの検査が前週の金曜日で、
1週間検診の日が水曜日。
体重測定や、おっぱいの具合などを聞かれたりして、
やっぱりちょっと黄色いから念のために黄疸の検査してみようか?
と助産婦さん。おでこでピカッと測定するミノルタでは測定値19。
ちょっと微妙なんで、ちゃんと検査しましょうと5日ぶりの採血。
あかりは、また~?という感じで、採血しようとする先生の手をクロスした足で
どうにか振りほどこうとチャレンジしたようですが、
結局ちゃんと採血されまして、
その結果、、、、21。がびーん。入院です。パパの誕生日なのに~~。
花の時も、1週間検診で黄疸がきつかったために1泊2日の入院したので
入院の可能性もチラリと脳裏をかすめましたが、
大丈夫だろうとタカをくくっておりました。。。
自宅から片道40分なんで、
おっぱい飲ませるのにかようにもちょっと遠いし、
わたしも一緒に付き添い入院です。。
なんの準備もしてなかったので、時間つぶすための編み物も本もな~~んにもなくて、
テレビなど見て、すごしました。
着替えも何もなくても、どこでも1泊できるというのは、
職業柄慣れてるからかまわないのですが、
まる24時間付きっ切りで、することもないので、
テレビで2月22日に発生したNZ大地震のニュースなどを
見ておりました。
翌日夕方には数値も下がり、退院できましたが
上の子ども達を預かってくれてた両親がいてくれてよかったです。
退院翌日11日にはまたリバウンドの検査ということでまた午前10時半から
あかりの採血でしたが
退院した日よりもさらに数値が下がってて安心しました。
そうそう11日未明には、かなりの量の悪露が出てびっくりしましたが
それも心配なさそうで、よかったです。
万が一、もう一回入院ということになるかも、と
編み物など持って行きましたが、入院せずに済んでよかったです。
検査を終えて、自宅についてほっと一息ついていたときに
東日本大地震が発生しました。