前々回のおんぶの会のときに、
ひとりのママちゃんが教えてくれた松田道雄先生の本。
とっても面白そうで、さっそく図書館に予約しまして
読んでみてます。
今読んでるのは
「こんなときお母さんはどうしたらよいか」(暮しの手帳の本)
昭和39年9月に書かれた本です。
ほんの裏表紙には返却日の判子を押す紙が張られていて、
51.1.8という日付が赤いスタンプで押されています。
うちのパパちゃんが生まれる前に借りられてた本です。
もしかしたら天国にいるばぁばも読んだかも知れないなと
思いながらページをくってます。
定価280円(昭和49年4月15日台15刷)
もちろん、ほんの裏にはバーコードなどありません。
味のある本です。
「赤ちゃんを育てていくとき、いくら本を読んでも
よくわからないことがつぎつぎに起こってくる。
経験のない若いお母さんはどうしたらよいかわからなくて途方にくれる。
思いあまって、お母さんは手紙をかく(小児科医に)・・・」
それに答えたのがこの本というわけです。
おもしろいです。
中に、「この手紙には育児の根本的な問題が出ています。
初めての子どもというのは初経験の連続です。新婚旅行の続きです。
配偶者については1年もすればたいてい〈初心〉を失ってしまいますが
子どもについては小学校を卒業するくらいまでは親は初心者です。」
なんて書いてあります。
そう。私もまだまだ初心者です。
そして、「育児書がノイローゼ母をつくる」なんてことも書いてます。
まったく、その通りですね(爆)。
先生はおんぶについては、「おんぶは文明国では日本人しかやりません」なんて書いてます。
まだその当時、お隣の国など、近隣のアジアあたりは文明国ではなかったのかしら???
「離乳の失敗」の欄なども面白かったです。
「離乳」という単語の登場についてわかりました。
離乳献立を子どもがたべないことや、夜中だけ子どもがおっぱいを吸うのが失敗だと
若い母親が悩んでる場面なんですが、
先生は、「だいたい、赤ちゃんが大人が食事をしてるのを見て
ほしそうに口を動かしたりするようになれば様子を見ながらはじめればいい」と答えます。
戸外で遊ばせたり、外の風に当てたりするという大切な「赤ちゃんの鍛錬をギセイにした
離乳食マニアのお母さんが実におおいのです」
なんてかかれてて、今とかわらないなぁ~~ともおもったりしました。
昔は、次の子が生まれるまではお母さんのお乳を飲んでたのが当たり前で、
もちろんお乳だけではなく、お母さんの食べる副食などもやわらかいものから
食べさせてもらったりしてたということで、
そのうちに、単調な乳の味より副食のほうがおいしいと感じるようになると
子どものほうから進んで母乳を放棄したものです。と書いてます。
しかしながら、面倒くさがりのお母さんだと次の赤ちゃんが誕生してても、
泣いたらおっぱいだけを与えたりするものだから、
そういうこが栄養不良になったりて、明治時代の医者が、これを防ぐために
それまでお乳の他にも「添加食を与えよ」といわれてたのを
「離乳せよ」といった。というのがどうやら離乳という言葉の始まりのようです。
お母さんに、子に乳を与えないようにさせれば、
添加食を与えるに違いないだろうと信じたからです。。。とも。
いろいろ、楽しいことが書いてありました。
楽しいこと、と感じられるのは、私が子どもを4人育てて、
子育て真っ最中だということと、4人とも個性があって、
同じように、ましてや育児書どおりに育つ子なんているわけないというのが
はっきりくっきりわかってるからかな?
「私は赤ちゃん」や「私は二歳」も借りましたので、これから読んでみます。
本を教えてくれたおけいたん、ありがとう~~~♪
【送料無料】 私は赤ちゃん 岩波新書 / 松田道雄 【新書】
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