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カテゴリ:本のひととき
■ 体罰場面と顧問教官への手紙
私的なことですが、私自身が数年前に体罰場面に遭遇し、体罰を行った顧問教官に 手紙(一部省略)を出した事があります。 そのなかに私自身の体罰禁止理由が凝縮されています。これを材料にして体罰問題を 考えていただきたいと思います。 突然、お手紙を差し上げる無礼をお許しください。ここ三日間、どのような形で先生に お話すべきかを考えました。結局、直接、先生に手紙を差し上げることにしました。 先日、C中学校で一年生のサッカーの大会が行われました。 私の息子はB中のサッカー部員で、先生が指導されていA中とのゲームにも出場していました。当然、覚えていらっしゃると思いますが、試合結果は、三対三の引き分け、その後の PK戦でA中が勝ちました。 私はすぐそばでこの試合を観戦していました。 どうしても納得いかない行為は、PK戦の前に先生が生徒の対して(GKの生徒だったと思いますが)行った平手打ちの体罰行為です。正直申し上げて、現在の先生には、生徒にスポーツ を教える資格・品性がありません。試合中の先生の罵声的言動は、聞くに耐えない、教師としての品性に欠けるものです。 勿論、先生の表面的な熱心さは感じますが、人間として最低限の資質にかけている人は、 人に教える資格はありません。今の社会では、正当防衛以外に、相手を殴ることは許されないからです。 もともと教師と生徒との力関係は対等ではありません。生徒は弱い立場にいます。 弱い立場を逆手にとって、生徒に暴力をふるうことは言語道断です。 生徒は先生を選べないこと、この点を教師は肝に命じなければなりません。 暴力行為を含む先生の指導方針についていかなければ、大好きなサッカーをやめるか、 その暴力指導をじっとがまんするしかありません。 法律上、教師の体罰は認められていません。もし殴られた生徒が私の息子だったら、 間違いなく、あなたを告訴して免職に追い込み、教師職から追放するまで戦います。 暴力教師は人を教える資格がありません。 恐らく、先生は自分の行為が暴力だとは思っていないでしょうが、熱心さゆえに体罰が 許されるはずがありません。~(中略)~今のスポーツ界で体罰が行われている事実は 否定できませんが、これは決して正常な姿ではありません。全く不愉快きわまりない現状だと思います。私は入学してきた学生にいつもいいます。「君たちの周りに、どれだけ大勢のスポーツ好きの子が、指導者の体罰によって辞めていったかを考えてみなさい」と。 生徒に先生が選べない以上は、そうする以外に方法はありません。 指導者の暴力を受忍して、生き残った生徒だけしかスポーツを行う権利はないのでしょうか。 指導者は独裁主義者でよいのでしょうか。 スポーツ科学の知見は、矯正的指導よりも称賛的指導の有効性を教えています。 さらに感情的な指導者は三流で、冷静的な判断力がないことも証明されています。 一流のサッカー指導者は、相手の腕やユニフォームを引っ張ったり、決定的な場面での 意図的なファウルを推奨をしません。 特に、発育発達段階の途上にある中学生や高校生には、技術的な未熟さゆえのファウルを 認めないで、技術で対抗できるように、大きく育てることが重要だと指摘されています。 さらに、高校生や大学生に多いバーンアウト症候群(燃え尽き現象)やドロップ・アウトは、 中学校・高校時代に指導が無理な指導(体罰やオーバー・トレーニング等)を行った結果であるとも報告されています。生徒の真の成長を願うなら、姑息な手段や体罰による指導ではなく 生徒の将来の可能性を「待つ」ような人格に優れた指導者が期待されます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年10月07日 02時20分59秒
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