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カテゴリ:わたし
(前回の続きです)
レーシックを受けてきた。 ママ友達の関西弁ママに、手術を受ける旨を話したら、その間はうちの子供達の面倒を見てくれると言う。 「でも、医者が子供を連れて来ていいといったし、手術は10分ぐらいだから、キッズルームで遊ばせておくからいいよ」と遠慮したけど 「子供達を電車に乗せて、新宿まで行くのも面倒ですやろ?うちに連れてきて うちの子達と遊んでたらエエですやん」と言われて 「そう?」と言い、お言葉に甘えた。 1人で行く事が出来た。(これがあと後 すっごく助かった) まず、下記の左側の こんな 大きな機械でオペをする。 両方に機械が二分されているが、これで右目、左目と分けて手術をする。 実際には、色々な付属の機械もついていて、もっと大きな機械だった。 医師を含めて、担当してくれる人は全部で 7人。 午前11:30 頭にはブルーの手術用の帽子を被らされて、服の上から白の手術着をはめられて、 いやっ・・・・マジ・・・手術じゃん!と焦る。 手術で触るのは、この角膜部分だけ。 機械の真ん中のベッドに寝かされて、頭をベルトで固定される。 この時点で、すっごい恐怖心を抱く。 逃げたくなった (1) 点眼麻酔をする。 痛くも痒くもない。眼球を何かで固定された。 この時点で看護師が私の手を握ってくれた。 手術室に入る前に「怖いでしょうから、手をつなぎますね」と言われていたが、 心の中で「そんなんいらないよ」と思っていた。 でも、ここで手を握られて思った。 安心感があるのと、恐怖で手を動かしてしまう患者が多いのかな?と思った。 (2) フラップの作成。レーザーで角膜に印をつけて、角膜に蓋を作り開ける。 視界が暗くなる。何も見えないし 何も感じない。(片目6秒ほど) (3) 屈折矯正。 目を開けて目の前のオレンジの光を見つめてくださいと指示される。 見つめている間にレーザーで照射する。 角膜を開けて、黒い部分にレーザーを照射する。 このレーザーには適応検査で得られた患者の個々の詳細なデータが入っている。 この照射で視力が回復する。(片目20秒ほど) (4) フラップの蓋を閉じる。 また視界が暗くなる。痛くも痒くもない。 (5) 消毒。 眼球を「キュッキュッ」と何かで拭かれる この時、目を開けたら 目の前の機械が鮮明に見えて「あっ!!もう視力が良くなってる」と感動する。 はい。終了。 それから、もうすぐ帰宅していいのだ。 ゴミが入らないようにと、ダテ眼鏡をくれる、一週間はこれをしていなければならない。 化粧禁止なので、この眼鏡とマスクをして帰った。 「20分ぐらいで麻酔が切れますから、急に眩しく感じたり 痛みを感じる方がいますので」 と 術後の事は説明を受けていた。 感じ方は人それぞれみたいで、全く痛みを感じない人もいるようだ。 それに「眩しい」ってたいした事がないと思うじゃん? 午前11:50 病院を出た。 新宿駅に向かいながら 「あ、よく見える!気分いい!お茶でもして帰ろう」 「関西弁ママに世話になったから デパ地下で何かスイーツを買ってあげよう」 と考えながら歩いていた。 が、そんな事はすぐかき消された。 太陽が眩しすぎて目が開かない。 歩けない。 眩しいってこんなに辛い事なんだ!と実感した。 10歩ぐらい目を閉じたまま歩き、立ち止まって薄目を開けて周りを確認してから、また目を閉じて歩く。 新宿は人も多く、歩くスピードが早いので、私は端に寄って、壁を伝いながら、時々 薄目を開けて進んだ。 駅で2回、意識が遠のいた。 ヤバイ!! 貧血だ!!倒れる!と思ったが、なんとか持ち越した。 これね、 慣れている駅だから1人で帰れた。慣れてなかったら無理だったと思う。 眼鏡をしてマスクをして、壁伝いに歩く人・・・・ 他人から見たら、私はちょっとした変わりもんか、障害がある人に思えるだろう。 関西弁ママに子供達を預けてきて、本当に良かったと思った。 子供の面倒なんて見れないよ、自分の事で精一杯 川口駅に到着しても、自転車に乗れない。 タクシーで帰る事も考えたが、このまま自転車を置き去りにするのは、 お金もかかるし手間もかかるので、自転車に乗って帰る事にした。 乗れないので、ひいて帰った。 目を閉じたまま10歩 歩き、薄目を開けて周りを確認し、また目を閉じて10歩歩いて帰る繰り返しだ。 さすがにね、障害者だと思われるから、みんな私を避けてくれるの そして、這うように家に帰り、バタンと横になった。 痛い、痛い・・・・目が痛い 目が痛いってどんなんかわかりにくいでしょ? 石鹸が目に入ってしみている感じ。 ずっとその状態が続くの。もうね、嫌になっちゃうよ。 ヤバイ! 関西弁ママに連絡しなくっちゃ!! でも、携帯電話の画面が見えないの。 メールなんて打てやしない。 やっとこさっとこ、アドレス帳から電話番号をだし、電話をかけた。 目は開けられないけど、喋りは快適だ。 「ごめん、今帰った。これから花梨をバトンに連れて行かなきゃならないけど・・・・行けない。ごめん厳吉だけ うちに帰して、花梨も一緒にバトンへ連れて行ってくれないかな?」とお願いした。 良かった、一緒にバトン習ってて良かった。 「出来ない事は助けるから」と言っておきながら、私が助けて貰っている。 本当に助かった。 午後5:00 随分と目が楽になってきて、薄目なら開けていられるようになった。 苦しいのは、術後3~4時間だ。 たったこれだけの事だけど、凄く体力を消耗したみたいで、その日の晩はぐっすり眠った。 次の朝 起きて 「あ・・・・・メガネなしで、天井や壁がよく見える」と感動した。 快適な世界が広がった ここまで、術後がどれだけ苦しいかを書いてきたが・・・・・ 出産と比べると「屁」みたいなもんだ あんな不安定で、体に変化がある時期を10ケ月も過ごし、 3キロのデカイ物体を、オマタが裂けながら産んだり、腹を切って出す事の苦しみと比べると 雲泥の差で・・・・ レーシックは「屁」みたいなもんだ。 こんな少しの苦しさで、永遠に近眼が治るなら、「なんでもっと早くしなかったんだろう」と思う。 術後、また視力が戻ってしまう人は、全体の2~3%だそうだ。 でも、完全に元の視力になるのではなくて、私なら「0.7とか0.8まで落ちることはあっても、それ以上は悪くならない」と言われた。 悪くなっても半年おけば、再手術が無料で出来る。 5年間は補償期間で無料で再手術ができる。 (年齢によって補償期間が違う。若い方が長い。10代の子は15年補償がついている) 私の受けた術式は16万でした。 これから先、コンタクト代がかかると思えば、4年ぐらいで元が取れる金額だ。 あ、そうそう お友達紹介チケット貰いました。 4万円割引チケットを6人分頂きましたので、欲しい方はお声かけください。 4万円割引なんて デカイよね?これで広告費にしてるんだろうなぁ~・・・・ 今日は長くなりましたので また次回、お金の事や その後の経過等をブログにアップしたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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