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tartaros  ―タルタロス―

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2008.07.14
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カテゴリ:与太話
放置サイトみると悲しくなりませんか?

【ゴミ問題】 世界のブログの37%が日本語。 続いて、英語36%、中国語が約8%。 【アフィ】



かつてそこに確かに存在した人間の痕跡が、いついつまでも広大無辺なネットの世界に残留して漂い続けるというのは、よく考えてみれば不思議な感覚だと思う。
実体の無い空間ではあるけれど、でも「存在」は確かにしている訳で、だからこそ目を向かせる事も向けられる事も無くなっても、放置サイトの管理人が世界と確かに繋がっていた時代の名残が今なお、ただそれだけでこの広い世界が内包するネットという不透明かつ不明瞭な空間で眠り続けている。
もしかしたら、放置サイトとは最終更新の時から真の終結を迎える時まで仮の眠り……あるいは仮死の状態なのだろうか。もしも管理人の生命が終わりを迎えていたとしても、彼・あるいは彼女が世界との交渉のために用いた己の分身は今なお仮死に過ぎない状態にあるとは言えないだろうか。

そうして、その仮死状態の分身を――放置サイトを見る時、俺は時間の停止した空間に迷い込んでしまったような一抹の不安と、(そのほとんどは)もう誰にも顧みられることも無いであろう事に対する僅かながらの寂寥を感じざるを得ないのである。

ある程度の知識と技術を要求されるサイトの場合と違って、ブログの場合は登録しさえすれば誰でも簡単に作れる。
まさにそれが今日隆盛を極めている理由なのは言うまでも無いが、言うなれば単なる「日記帳」に過ぎないブログを何故わざわざ運営し始めてしまうのだろう。
俺が全ての人間の心理を知り尽くしている訳ではないから(そんな事ができるのは神様とかお天道様ぐらいのモンだと思う)、これはどう考えても暴論なのだが、人は誰しも大なり小なり自分を見て欲しい欲求が、自己顕示の欲望があって、ブログという格好の道具を得て初めて個々人の自己顕示欲が満たされ始めているような気がする。

そこで、人は自己顕示の日記帳に何を書いて世界に発信するかという問題が生ずるが、この部分(つまりは自己顕示欲に端を発するブログ運営のそもそもの動機)こそが「放置」か「存続」か、あるいは「面白い」か「つまらない」かを分ける一つの大きな分水嶺となっているのは明らかだろう。

何らかの明快な目的があって――例えば書評・創作物の公開・ある特定のジャンルの紹介・評価――など、はっきりとした方向性を与えられたブログは続けやすいし、話題に興味を示してくれる読者も多いはず。
その反面、目的の不明瞭な、暇潰しとか「何となく」で開設したブログは特にやりたい事、わざわざ書きたい事も少ないだろうから長続きし難いのじゃないだろうか。
単に日常の生活を書いているだけでも多くの読者に恵まれているようなブログは、文章・内容・著者などに魅力のある、稀有な存在であるのだと思う。

ブログにおけるこの発想は、サイトという形態の運営方法とは必ずしも合致しないだろうが(そもそもサイトという形態そのものが、明確な方向性を与えられた状態で運営されている場合が多いと思う。そうなるとサイトが放置される理由には別の考えをする必要が出て来るんだが…)、ブログにせよサイトにせよ、形態の別に関わりなくいきなり更新がストップし、それが何年間も持続するというのは読者の側からすれば非常に悲しいものがある。

死んだ人間を腐るに任せて放置する訳にはいかないように、更新する意欲を失っていつまでも続く仮死状態に入ったサイトやブログはハッキリと息の根を止めてしまい、「閉鎖」という形の葬送儀礼を執り行うべきだと思う。


それが、今まで自分の「分身」を見てくれた全ての人々への礼儀というものだろう。





……と、日々、偉そうにこんなバカ話をのたまっている当ブログも、いつかは放置されて半死半生のゾンビとしてネットをさまよい続ける羽目にならないとも言い切れないのだけれど。





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Last updated  2008.07.14 23:56:22
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