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tartaros  ―タルタロス―

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2008.11.02
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カテゴリ:与太話
傭兵になりたい


カッコイイですよね、「傭兵」って。
銃を片手に戦いの日々。血に塗れながら金と力と戦いの日々を送るんですね。
「ガンダムOO」のアリー・アル・サーシェスのように殺しと戦争を嗜好するも良し、「エースコンバット・ゼロ」のガルム・ワンのように仲間と戦うも良し。
しかし、ちょっと待って欲しい。それはあくまで創作されたイメージでしかないのではないか。
史上「傭兵」という職は、金の無いヤツ仕事の無いヤツが就くものだったという。
別の言い方をすれば、マトモな仕事をやれないような人々が仕方無しになった職業だったらしいのだ。時計産業が興る以前のスイスは傭兵を出稼ぎに行かせて貴重な収入源に、ジャガイモ飢饉によって大打撃を受けたアイルランドは男たちを傭兵として戦争に送ったと。
あるいは、家を継ぐことのできない農家の次男坊やら三男坊が募兵にノセられたりとか。
だが、そうした戦場に身を置いて人殺しで糊口を凌ぐ人々は、社会のシステムから外れた存在だ。
自らの意思で逸脱した彼らは、また逸脱して足を踏み入れた別の世界の泥沼にはまっていく。傭兵として生きるのは、昔はそれほど過酷だったという事なのだ。
けれども時代は変わるもので、わざわざ傭兵なんぞになって生死をかけた生活しなくともある程度は生きられるようにはなった。それでもやはり憧れたり、実際に傭兵になったりするのは不思議といえば不思議だろう。
現代では、どうも傭兵になることですら「自己実現」の手段の一つと化しているフシがある。
傭兵とは売春婦などと並んで、世界最古の部類に入る職業らしい。それほど昔から戦争が多かったという事だろう。だから貧困から止むを得ず戦争屋と化す連中も居たりした訳だ。
今の時代は国家によって常備軍が整備され、大きな戦争も起きずに平和が続く……この状況でわざわざ傭兵になりたいと思う奴は確実に酔狂だと思う。
だと思うのだが、傭兵という職業そのものがやはり今だに社会の枠組みから外れている、だからこそ憧れる人々が存在するのかもしれない。
社会のシステムが確立されて覆し難くなった時代を生きた司馬遷は、春秋戦国時代、生まれに関わらず能力さえあれば出世のチャンスが掴めたような時代に憧憬の眼差しを向けていたという話を読んだことがある。だからこそ項羽や劉邦の活躍に心躍らせたのではないかと。どうにもならないくらいに強固で整然としていて、個人の反抗など簡単に圧殺する事のできる社会というのは安全だけれども、退屈で倦怠を感じる。誰もがそのように感じているかもしれないが、本気で逸脱しようと思う者はやはり少数派であろう。社会の枠組みを意図的に外れるというのは「よし! 京都行こう!」のように気軽にはいかないのじゃないだろうか。
その枠組みを自ら外れてしまったのが傭兵なのだ。昔も、そしておそらくは現代でも。
そもそも人殺しをして生計を立てるという、その時点で一般的な倫理感からは離れている。おまけに自分自身にも死の危険は常に付き纏う。
だからこそのアウトロー的な魅力であり、惹かれる人間も居るのだろう。平和な祖国でごく一般的な生活を営んでいては絶対に体験できないだろうから。

菊池良生は「傭兵の二千年史」(講談社現代新書)という本の中で

「戦場でしか自己実現できない彼らは、しかし、悲しい人間たちである。」

という言葉をもって全体を締めくくっていたと記憶している。
退屈な日常から逸脱して我が身を危険に晒すことで自己実現をすることが果たして幸せかどうか、それは本人しか解らない。
が、ただ一つ言えるのは、アニメや漫画やゲームや映画のようにカッコ良く活躍できる確率は物凄く低いんじゃないかという事だ。まだ何にもしてないうちに、飛んできた弾に当たって死んじゃうかもしれない。ろくに飯も喰えないまま空きっ腹を抱えて戦わなきゃいけないかも。
もっとも、そこまで含めての憧れなのかもしれないけど。





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Last updated  2008.11.02 22:19:54
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