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tartaros  ―タルタロス―

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2009.01.10
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カテゴリ:与太話
宗教(あるいは俗信)を信仰する事において、必ずしも神様の実在だとかいう事柄は重要視される必要が無い。神様の実在・非実在が至上の命題だとするのなら、とっくの昔に宗教は迷信扱いされて滅亡している。救いを求めて生きながら苦悩に転げまわる人々が居る限り、科学の発達がこの世界の仕組みを少しずつ解き明かしたとしても、宗教は決して滅びはしないであろう。
 だが、今現在の問題は「超自然への憧憬」と「信仰の不在」という二律背反を見事なまでに成立させている日本人である。「憧憬」という表現を使ったが、大多数を占める「無宗教」の日本人において、この「憧憬」は必ずしも「崇敬」では有り得ない。






Hatenaで書いている途中の記事から引用。

文章を書くのって本当に楽しいですね。中身の稚拙さ・拙劣さはともかくとして。
宗教儀式に参加した人々が陶酔の中に神霊を垣間見、時には一体化さえも体験するように。
パソコンに向かってキーボードを打つ、あるいはペンを握って原稿用紙に文字の連なりを記していくという行為は、神の介在しない(語弊のある表現を用いるなら非宗教的な)密議のような気がする。没入・没頭するに連れて忘我・恍惚の状態となり、最終的には自らの精神上に存在する理想的な文章のイデアに向かって突き進むのだー。けれども、必ずしも実際に執筆された慣性系の文章と、心の中にある理想形としての文章は「=」ではない。そんなジレンマでさえも、陶酔に呑まれた状態にあっては快感へと変換される。脳味噌の中に変な汁とかがドバドバ出てるからこそ楽しい、楽しい。
何をするにも同じ事が言えると思うが、ブログなんぞをやるにしてもネタが無いと連日のように嘆いてはいても、結局は(惰性混じりの感があったとしてもだ)“文章を書く”という行為そのものが快感と化しているため、止めるに止められないのだ。だから、単に「流行ってるから」とか「コミュニケーションを求めて」とかの動機でブログやなんかを始めた人は、行為自体の快感を知らなければ長続きのしようが無いと勝手に思っていたりする。
ついでに言うと、アクセス数にあんまり固執し過ぎていると楽しくなくなるような気が。
人の出入りを気にせずに自分が気持ち良ければ良いという開き直りに達すれば、ブログはもっと楽しくなる……のだろうか。少なくとも俺自身はそうした開き直りには未だ達していないのであるが。

しかし、ここまで来ると最早オ×ニー以外の何物でも無い。
オ×ニー後の賢者タイムが非常に空しい時間であるように、執筆時の狂騒から醒めた状態の視点で公開後の文章を眺めると、物凄く恥ずかしかったりするのだけれども……。





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Last updated  2009.01.11 01:55:12
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