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tartaros  ―タルタロス―

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2009.03.31
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カテゴリ:与太話
 最近、どうにもブログのネタが上手いこと捻り出せない。
 ネットの片隅に苔のようにこびりついているこのブログも、そろそろ潮時だろうか。いや、まだ終わりませんけど。引き際を誤ったものごとほど、みっともないモノは無かろう。


 しかし、それにしても退屈と怠惰は双生児みたいなものだろう。
 ずっと安逸の中に居ると退屈が続き、それが日常化すると「何もしない」という消極的思考が続く。行きつく先は限り無い怠惰な訳である。これでは何も生まれない。どこぞの思想家は賤民は平和を求めて賢人は戦争を求めるような事を言っていたが、なるほど平和を当たり前と思って貪食してしまうと何もかもが面倒になってくる。個人の場合も集団の場合もきっと同じかも知れない。
 蓮食む人々の伝説が語るように、平穏というのは常に午後ばかりの気だるい時間がいずれ訪れるという事だ。蓮の実を食べた人間が平穏の中に身を置きたくて仕方が無くなってしまうのと同様、完成された平穏の享受とは消極と受動の同時出現である。それまで突き進んでいた意志は次第に減速し、その時に初めて真の意味での平穏が在るのだ。
 
 が、果実は熟れた盛りを過ぎると腐り始めるものでもある。
 腐敗の兆候は最初は微弱で、後には看過し難いほど猖獗を極める。だが、自身が腐って死ぬ事を知った果実にいったい何ができるだろう。自らの判断で腐敗を止める事は不可能だし、ボロボロになって朽ち果てるのが早いか遅いかの違いである。
 それをもぎ取って捨ててしまえる権限を行使するのは果実を育てる人間の手である。
 育て方次第によって熟れた状態を維持させられるのも人間である。

 熟れきった平穏を早々に腐らせるか、それとも一秒でも腐敗を遅らせるかはひとえにそれを育てる人間の賢愚の如何にかかっていると言っても過言ではない。
 だが、熟れた果実がいつまでも存続し続けることは始めからできないし、自身の質の高さを過信して「突き進んでいた意志」を放棄するのはそれこそ精神的な死に他ならないのだと思うが――。





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Last updated  2009.03.31 22:08:20
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