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カテゴリ:与太話
俗に、世界でもっとも古いと言われる職業は「売春婦」「傭兵」だという。
この二者に共通している点は、そのどちらもが第三次産業――すなわちサービス業の範疇に属するという点だと思う。ペティ=クラークの法則によれば、経済が発達していくに連れて第一次、第二次、第三次と、「就業人口の比率および国民所得に占める比率の重点がシフトしていく」のだそうだ。ならば、職業の誕生は農業や漁業といった第一次産業が一番最初になりそうだが、真偽はどうあれ第三次産業が世界最古の職業であるとは言われている。 仮にこの有名な話が真実だとするならば、おそらく原始的な共同体では「職業」という概念すら存在しなかったのではないだろうか。共同体成員、および彼らによって構成される共同体は、労働によって生命活動を持続させる糧となるものを得る「生産」を行わなければならない。それは形態はどうあれ成員のほぼ全員に課せられた義務であり、取りも直さず共同体そのものの維持発展のために必要不可欠の活動であったはずである。すなわち、ごく古い形での共同体にあっては所属する全員が完全な「生産」活動従事者――第一次産業従事者であり、そこに職能による専門的な業務の分化現象は未だ発生していなかったのではないかと思う。そこでは有益な知識や技術は全員で共有される。集団の滅亡を防止し、明日も健全に生きるために。全ては今日の糧と未来への生存を求めるがためだ。 だが、日々の「生産」活動の繰り返しは次第に集団を富ませる。すなわち「生産」によって産み出されたモノは、その日その日にすぐ消費するだけでなくある程度まとまって備蓄する事が可能なだけ大量に作り出せるくらいの余裕が少しずつ産まれ始めたのである。 こうなると、何も全員が同じく「生産」の仕事に就いている必要は無くなってくる。特別に「生産」に特化した知識・技能を持った人々が専門的にそれを行うようになり、具体的な「生産」活動から解放された人々は、自身が活躍できる新たな場所を訴求しなければならない。何も仕事をしない人間に対して無条件に生産物を提供できるほど、共同体は寛容ではなかろう。売春婦も傭兵も「あれば便利だが、無くても構わない」程度の職業ではある。しかし、専門的に「生産」に従事し始めた人々は、「生産」から離れ得た種類の人々に対して報酬を渡して彼らを雇うだけの余剰財産を今や保有している。こうして、消費するのみではなく余剰、その後に財産と化す事の可能な量の生産物が確立されるによって、一時は「生産」から離れた人々へ、報酬と引き換えに新たな活躍の場を提供する事が可能になった。 そして、「生産」の活動とは違う方向性を明確に持ち、かつ認識が可能な世界初の「職業」が誕生したのではないだろうか。すなわち、「あれば便利だが、無くても構わない」存在が成立するためには、本来であれば無駄だと断罪されそうなモノをも許容し得るだけの「生産」の結果である「余剰」としての要素と、その恩恵が共同体には必要だったのだと思う。 ではなぜ、「売春婦」と「傭兵」だったのだろう…………続く? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.04.22 22:35:26
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