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tartaros  ―タルタロス―

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こうず2608

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2009.04.30
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カテゴリ:与太話
 ある特定の社会的現象が真実性を持って人々に受け入れられるには、その地盤となる共通の「認識」が徹底されている必要がある。その「認識」――それは必ずしも現実的なものでなくとも構わない――が、より強固なものであればあるほど、より人口に膾炙していればいるほど、それを基にして発生する現象もまた、その地盤を下支えする人々の間で強固なものとなるのである。
 さらに言うならば、現象によって「奇跡」という、高座から下賜される産物の存在を確かに感じ取ることができる場合、社会的現象そのものの真実性はさらに高まる。それを可能にするのも人々が共有する「認識」なのであるが、この下賜された「奇跡」という一つの事実それ自体が、共有された「認識」が根の部分に存在していなければ発生し得ないものであろう。すなわち、ある社会的現象の誕生とは前提として人々に共有された「認識」が必要不可欠であり、最終的結末としての「奇跡」は、また根の部分に当たる「認識」に還り、その肥やしとなる。自身に成った実を養分とする、樹木にも似た円環的構造であるが、この「認識」とは果たして「共同幻想」として解釈することができるはずだ。
 「認識」という共同幻想は、その中からさらに現象を誕生せしめ、「奇跡」という幻想の果実は大地に達して共同幻想を維持し続けるのである。




 ……東方Projectの世界観っていうのは、こんな解釈↑で良いのだろうか? っていうか、思いっきり吉本隆明の用語を使っちゃってますけど、書いてる本人も実は「共同幻想論」はあんまり理解できてない。
 まあ、しかし「国家」を幻想とする解釈を例にとれば人々が自身を国家の成員であるという、ある種の「思い込み」に立っている時点で、「国家」の成立という現象は成り立つのかもしれない。それを補強するためには「国家」から成される種々の政策=「奇跡」によって国民が等しく扱われることが必要だが、そもそも国民という「思い込み」が存在しなければ「国家」も政策という「奇跡」も有り得ない。だからこそ「奇跡」の享受によって、「国民」たる人々が無意識のうちに「国家」という共同幻想を抱き続けているのだ。
 東方の場合、これは「神と人」「妖怪と人」の関係に当てはまりそうな気がするけど面倒なのでもう止めた。






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Last updated  2009.04.30 22:06:46
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