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カテゴリ:与太話
テニスンというイギリス詩人の作品に、ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」に登場するロトパゴス(食蓮人)のエピソードを題材にした「The Lotos Eaters」というものがある。直訳すると「蓮を食べる人々」「蓮食む人々」程度の意味だそうだが、実はもっと気の利いた和訳が存在する。
昨晩、その日本語タイトルが何だったか必死に思い出そうとしていたのだが、何度考えても「暇を持て余した神々の遊び」という言葉が浮かんできて一向に思い出せなかった。 今日の授業中にようやく、「安逸の人々」というタイトルだったことを思い出した。 とりあえずそれだけ。 ジョージ・オーウェルは、インド植民地で働いていた頃の思い出を綴った「象を撃つ」というエッセイの中で、「支配する者は支配される者によって、自らもまた支配されている」という意味のことを書いていたように記憶している。 人の上の立つ者――つまり支配者は、ただ下の者を支配するのみではない。下の者たちは支配者に対して、当然あるべき責務・義務を果たしてくれるよう強く期待している。そして、支配者はその期待に応える必要がある。 つまり、支配者は下の者たちを権力で拘束すると同時に、自らもまた支配者としての責務に拘束されている。 暴れ象を射殺してくれと現地のインド人に頼まれて銃を持ち出したオーウェルは、植民地の支配者として当然あるべき責務を果たしてくれるだろうと期待するインド人たちの視線をその背に受けて、その事実に気が付いたという。 およそ人の上に立つ者、人より秀でた者は、その地位の故にある意味では不幸せである。 自らの失敗を他に晒す事ができず、一部の自由意思が制限されるという事態に陥ってしまうかもしれない。 学問の世界で名を成した者は、「わからない」「できない」という二つの言葉をみだりに口にできなくなってしまうらしいが、これもまた知性の上での支配者と被支配者の間で交わされる相互拘束現象の一例かもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.06.01 22:45:15
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