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カテゴリ:与太話
ここ最近、紛糾している児ポ法改正云々について少し。
自民が提出している例の改正案には、「角を矯めて牛を殺す」という言葉がよく似合う。むろん、非合法な児童ポルノは根絶され然るべきなのは言うまでもない。 もともと生殖というのは、社会を維持・発展させるための広義での生産活動のひとつと考えられるが、つまり民衆はこの秘事によって全体性への奉仕を行ってもいる。この生殖活動に関する物事を政策によって方向付けるというのは、すなわち全体性によって都合の良い方向へと、人間の根本的生産の誘導を試みているということである。 言うなれば指導的立場から民衆に与えられる性的な事柄の定義づけは、そのまま彼らが奉じる思想における理想を実現するために行われる生産活動の操作に他ならない。それがどういった理由であれ巷に氾濫する(と、おそらく彼らは自分たちの考えにとって好ましくない表現物に対して思っているのであろう)悪表現を規制するということは、文化的な側面への締め付けを強化することによって彼らにとっての適正・適切な性の世界を造り上げようとしているということなのだ。 すなわち、彼らは文化面の統制を行うことによって自己が理想化した世界への「誘導」を是とする。彼らが志向しているのは生殖≒生産という図式に対する都合の良い定義づけであり、それは民衆が行うべき模範であると吹聴する、全体性に対する奉仕の無制限的な強化であろう。 この度の根本目的は、児童ポルノの被害者を減少させることであるのは言うまでも無いのであるが、彼らが目指す世界は、おそらくあまりに清潔すぎる。目標追求が苛烈に過ぎ、踏み込んだ足が何を踏み潰そうとしているのかをまるで理解していない。児童ポルノ被害者の減少という事象は生産活動とイコールではないが、彼らは民衆が血を流しつつ全体性への限り無き奉仕を行うようになることを望んでいるという点では限りなく同一の視点なのではないだろうか。 こういったある規準によって「不道徳」とされた事物への規制・統制の類は、史上、常に共同体繁栄を目指す美名の下に行われてきた。その果てに抹殺されるであろうあまりに多くのものを振り捨てて、我が国もまた史上において繰り返されてきた愚策と同じ轍を踏んでしまうのであろうか。 願わくば「元の濁りの田沼恋し」い事態になることだけは避けて欲しいものである。
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Last updated
2009.06.30 23:58:27
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