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tartaros  ―タルタロス―

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2009.07.08
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カテゴリ:与太話
 稲垣足穂は同性愛を「生産から離れた高尚な概念」と言っていたが、ともかくも具体的生産活動から離れるだけの余剰を有しているということは、つまり意識を文化に向けるだけの余裕があるってことだ。学問も然り。日常の労働を全て奴隷に委託した結果、学問が著しい発展を見た古代ギリシャが好例である。
「エンゲル係数が低いほど生活に余裕がある」みたいなもので、史上、人間が文化・学問を発達させてこられたのは、ひとえに労働と生産によって余剰を獲得する術を得たからなのだ。
 ただ、そうして誕生した文化のどれを取捨選択するかは時代と地域ごとの思想の別に関わってくるし、何を選んだかによってその後の発展具合も異なってくる。爛熟した文明の内部に繁栄する文化というのは直接的に生産活動に関わらない分、享楽であり自由である。反面、農民のように第一義的生産活動に従事する人々が継承してきた文化というものは、豊穣の祈念に代表されるように、生産活動の円滑な展開を願う要素が強いのではないだろうか。つまり、恩恵のみを得られるほどの立場ではない人々の間では、完全な形で生産活動から切り離された文化は未だ発達しにくい。間接的ながらも生産と労働に大なり小なり奉仕する傾向が見られることがある。
 ある文化圏の「寛容さ」というのは、余剰への取捨選択を通して生産に対する「無駄」と「余裕」のどちらに解するか、そうした二者択一に負うところが大きいのではないだろうか。坂口安吾が戦前・戦中の日本的価値観を「悲しい美しさ」と述べたように、その社会の存亡が懸かった状態のとき、その精神の発露である文化は俄かに高潔さを帯びていく。忌荻との闘争と生産活動は社会の延命を図るというという点では紛れもなく同義であり、それは社会全体が戦闘で敗北者とならない限りその内部において正義と考えられるのだろう。だが、その正義とは時として極端なまでに不寛容であり、戦闘に貢献しないであろうと考えられるものは容赦なく切り捨てられ弾圧されることさえある。恒常的な平穏の状態に至ってこそ、ようやく社会の維持という大きな目的以外のために誕生した要素へと目を向けることができるのだ。
 ただ、爛熟した社会のシステムはいずれ疲労を起こして腐敗し始めるし、享受者の利益のみが追求される状態では生産が蔑ろにされてしまう。高潔と爛熟と、その両面の振れ幅はあまりに大き過ぎるが、けれども一つの社会のうちで、長い時間の流れとともに二つの形態を見ることができるというのはこれもまた面白いことであろう。
 言い換えれば生存を志向しない行動と、その結果として生じるものの取捨選択ができるというのが、人間における特徴のひとつだと思う。





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Last updated  2009.07.08 22:18:36
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