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tartaros  ―タルタロス―

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2009.08.19
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カテゴリ:与太話
 明日は運転免許の本免試験受験のために、秋田市まで赴かなければならない。
 これに落ちると夏季休業中の受験機会を完全に逃してしまうので、まさしく天王山にして関が原である。光秀にも三成にもならないようにしねえと。






 史上、個人的な文書を残すことが可能だったのは一部の特権階級に属する人々だけ。時代が下ってくると市井の人々もある程度いろいろと書き残すようになってきた。しかし、普通は何か珍しい特記事項を多く書くもので、普段どんな生活をしているのかまでは書かれていない場合が多いそうだ。民衆の歴史を知るのが難しいのはここに起因する。現代は「ネット」という前提さえ整っていれば、ブログにプロフにtwitter……あらゆる手段で個人の普段の生活や思考・思想を表現することができる。百年や千年先まで資料として残っているのかは判らないが、現代は歴史上、最も平等にして異様な時代かもしれない。
 単なる時間の流れに対して意義と意味を付与するのは、人間が介在する事によって歴史として解釈される事だと思う。地球に住む生き物の中で、ただ人間だけが能動的に自己と他者の歴史を記述する事が出来るのだ。
 何かを記録しようとするのに必要なのは、それを可能にする前提である。
 つまり、言葉・文字・石・紙など。媒体と、それを刻み込むための土台が必ず必要なのである。言葉と文字はその形態こそ時代の経過と共に大きく変化してきたが、媒体の存在そのものは決して揺らぐ事は無かった。「情報革命」と現代は呼ばれているようだが、Webという新たな土台(前提)を前に、人間は等しく個人の歴史を記述する権利を有するまでになった。
 市井の人々が思い思いに書き連ねる文字の群れが、果たしてどういった意思のもとに誕生したのかは知らない。けれども、わざわざ「残す」ということは、内に秘めて墓まで持っていくだけでは何かが足りないと考えていた証ではないのか? 墓もまた物であり、つまりいつかは消滅の憂き目を見る宿命である。個人の記憶は記録という形で何らかの傍証を得なければ、いつかは歴史の波間に揉まれて擦り切れ、失われてしまう。自分が消え去るということの不安を、全ての人々は大なり小なり共有しているのだろう。
 だから、Web上において可視化された無名の人々は、その歴史記述によって大仰な時代そのものの趨勢を残したい訳ではない。ただ総体を構成する一単体として、消えずに住むための、自己の記憶をアウトプットする傍証の記述を繰り返している。
 それは決して淋しく哀しいというものではなく、「生きる」という行為自体に対して高度な意味を求め得た人間の特権なのだ。
 だから、いつしか途切れて更新されることの無くなったサイトやブログも、世俗における歴史の保管であり、歴史という概念そのものの補完でもある。かつて俺はそれらの存在は率先して閉鎖すべきだと主張していたが、なるほど考えを改めるべきかもしれないのだ。

 







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Last updated  2009.08.19 22:15:18
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