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カテゴリ:与太話
生まれ育った土地から離れないなんて馬鹿げてる
あー。 全面的という訳でもないけど、何となく共感できるかな。 就職・進学は故郷を離れるか否かの境界線みたいなものだけど、ここで地元に残るっていう人は案外に多いみたいだ。就職活動をしていて初めて知ったのだけれども、最近の若者は地元に帰って働きたいという「地元」志向の人間が多いのだそうだ。ただ、それが心からの郷土愛なのか、単なる妥協みたいな感情に突き動かされているのかはどうにも解らない。向上心が無いというのとも違って、“とりあえず”地元という印象を受けた。 けれども生まれ育ち、かつ慣れ親しんだ故郷を離れる事が必ずしも良しとは言えまい。 以前に読んだある本の中では、「都会へ進学する意思と、都会への憧れは表裏一体である」などと語られていたが、まさに言い得て妙だ。だって、仙台の専門学校に進学した俺が多分に“そう”なのだから。 とは言うものの、例えば「半分の月がのぼる空」の主人公や、あるいは著者の橋本紡が後書きで幾度となく語っていたような強烈な「地元なんて!」意識を持った若者とは違っていたように思う。 ただ外界に何があるのかを知りたがって憧れていたような記憶がある。もっとも、今となってはそれすらも不鮮明なんだけど。 結果的に言えば、地元を出て良かったと思えることの方がはるかに多いんだが、それでも故郷というのは時が過ぎるほどに精神の中で非常に重要なファクターを占める要素なのだという事実を実感せざるをなかった。その人間の魂は他所の風に染まっても、骨肉は生まれ育った土地で出来ているのだろうと思う。 お茶を濁すが如き結論だが、別に地元だろうが遠く離れた場所だろうが住めば都だし、「人間至る所青山あり」と昔の偉い人も言っている。ただ、それでも俺はやっぱりごく狭い土地で完結してしまうような人生はどうしても許容できなかった。それだけ。 それに、こうした生きるうえでこうした疑問を提出できるという事自体が交通手段の発達した近代人の特権であるに違いない。昔は故郷に屍を埋め、故郷で自らを完結させる人々が遥かに一般的だったであろうから。どこまでも、考えようによっては贅沢に生きられる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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