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カテゴリ:与太話
RPGに壮大な物語は必要なのか? 毎回人類存亡の危機を救ったりするのもう飽きた
やっぱゲームって娯楽だから、ある程度は非現実的な要素が無いと楽しくなさそうな気がするんだよね。 プレイヤー全てが現実から逃避するためにバーチャルに浸ってる訳では当然ないと思うけど、方向性がどこを向いていてもやっぱり現実ではできない事を楽しめるというのが求められている訳で……。 とことんまで描かれる世界を縮小するなら、それこそ線路を辿って死体探しをしてみるなんてのも、小さな世界しか知らない子供の目線からすると幼い世界観を自ら突き破ろうとするほどの大冒険なのだ。だから、多かれ少なかれ現実を突き破る空想への憧れという物を皆が持っているという事だと思う。 要は、楽しければ人類が滅ぶか田舎の瀬戸際だろうが、駅前に出店してきたショッピングモールに対抗するんだろうが、「今現在」の自らが味わえないであろう興奮を、キャラクターを操作するという、ある程度の主体性を持ちつつ疑似的に体験できるのがゲームという娯楽の楽しみだと思う。けれども明らかなマンネリに陥りつつも、やっぱり人類や世界の危機を救いたがるのは、常に空想には英雄願望が伴っているからなのだろうな。 その英雄願望さえ上手く満たすことができれば、世界とかご近所とかあんまり関係が無くなりそうな気もする。 かといって、人類の存亡がかかっているとは言いながら戦場がその辺の路上だったりする、低予算の特撮番組みたいな事にはなってほしくないけど――あれ? ゲームじゃないけど、主人公とヒロインを中心とした所謂「セカイ系」の話って、人類の存亡をかけた、ご町内で進行したりするお話じゃね。 ということは、やはりゲームという媒体そのものがある程度の縛りを課している面もあるのだろうか? でも、「今までにない新感覚!」とか銘打って世に出た作品ほど、どうしようもない駄作だったりするのよね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.09.28 22:55:39
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