繰り返される謎
何でこのブログに宮内庁からアクセスが……!? アクセス解析を見ると、色んなプロバイダ・企業・教育機関からアクセスが来てるというのがよく解るけれど、これらのアクセスというのは、本当にそのブログを見たいと思ってやって来ているのであろうか。検索したらたまたま引っかかったというアクセスも相当な数に上るのではないかと思われるが(流行りモノに関する記事を書くとアクセスが増えるという現象からもそれが窺える)、実のところ、あるブログなりサイトなりのいわゆる「常連」さんは訪問者数全体の何割くらいなのだろう? むろん、それはモノによってかなり変動するのだろうけれども、知ったら知ったでショックを受けてしまいそうだ。 楽天のアクセス記録の精度がもっと高ければ助かるのだが……。以下、7月の読書まとめ↓7月の読書メーター読んだ本の数:8冊読んだページ数:2572ページ人間であること (岩波新書)ヒトを動物より隔て、ヒトたらしめている要素は何か、脳の研究を通しての解説。多様な視点からの解釈を試みてはいるけれども、最終的な結論をある一点に定式化し過ぎではないかとも思ってしまった。論点をヒトの持つ「脳」の機能、動物とは違うところに絞っているので当然だけど。読了日:07月23日 著者:時実 利彦アナバシス―敵中横断6000キロ (岩波文庫)傭兵たちの脱出行。とかくアウトローな荒くれ者のイメージが強い「傭兵」という職業だが、移動する国家と呼ばれるが如くギリシャ的な民主制を保って行動する様は、後年のドイツ傭兵(ランツクネヒト)を思い起こさせるものがある。傭兵は売春婦と共に世界最古の職業と言われるが、もともと社会機構から弾き出されて生きざるを得なかったという視点からはある程度の隔たりがあるように感じる。とはいえ、それは彼らがギリシャ的な市民軍と同様であったという事ではないとも思うが。読了日:07月21日 著者:クセノポン廃墟チェルノブイリ Revelations of Chernobylかつて人の生き死にが繰り返されたであろう一都市を覆い尽くした悲劇の爪痕。人々の営みの絶えた文字通りの廃墟と化したそこは、植物が生い茂る地となっている。単に人跡が消え去っているというのではなく、滅亡したソ連や共産主義という思想そのものの残滓を掬い上げるかのような、象徴的な哀切と怖気を感じる、不思議な光景である。読了日:07月15日 著者:中筋 純愚行録 (創元推理文庫)人は皆、多面的だ。美の裏は醜で逆もまた然り。完璧に見えた輝かしい家庭の裏と、それが築かれるまでの過程でいったい何があったのか。「世界観」という言葉が文字通りに「世界の観方」であるように、すべての人は自分自身という身勝手な愚かさのフィルターを通してしか眼前の事象を語れないのだ。そして、その全ては精神の中で正当化され得る。誰が悪いのでもない。全てがただ穢れているのである。読了日:07月15日 著者:貫井 徳郎推定少女 (角川文庫)ラノベ版の時(2,3年前?)に一度読んだのだが、改めて読むとまた別種の感銘を受けた。人は誰しも戦場を駆け抜けるが、「15歳」の戦場はたった一度きりしかない。逃げ出せないことがよく解っているからこそ、脱走兵と化した彼女たちにとっては何よりも意味があるのだ。行方不明になった「お兄ちゃん」と戦場に復帰したカナという対比は、敗残兵かそうでないかという、少しばかり残酷な現実のメタファーにも見える。読了日:07月15日 著者:桜庭 一樹本当の戦争の話をしよう (文春文庫)何かを「語る」ということ。ただ「語る」ということ。我々は何かを見る時、その中にとかく様々な形で物語を目にしようとする。けれども、それはもしかしたら粉飾されたもので、結局のところ、実相を求めてはいない。初めから悲劇である事を望んでいるのかもしれない。悲惨な死というのは確かに悲劇であるけれども、「語る」という行為とそこにあるであろうものを無条件的に悲劇へと組み替えるのは何か違うように思う。我々に許されるのは、兵士たちが悲劇と認めた記憶を受け取ることだけだ。読了日:07月11日 著者:ティム・オブライエン,村上 春樹,Tim O'Brien死の家の記録 (新潮文庫)著者の収監体験を元にした作品。外界からほとんど隔絶された牢獄内部での生活の様子は、まさに「活写」と呼ぶに相応しい情景である。危機的状況に瀕した人間の群れの中であっても信頼と喜びを見つけ、自己の信念を再構成していく体験は、外界では絶対に無い格別の神秘体験かもしれない。殺人の末に大地に跪いて許しを乞うた「罪と罰」のラスコーリニコフにも通じる姿が、この作品には存在しているように思う。読了日:07月10日 著者:ドストエフスキー,工藤 精一郎病牀六尺 (岩波文庫)六尺という病牀が、病を得た子規には広すぎる。けれど彼の精神はそれをも遥か飛び越えて、あらゆる物を見据えながら文筆を行い続ける。同じ著者の個人的手記である「仰臥漫録」と比べると、公的に発表すべく執筆された文章であるためか悲壮感あまり無いように思った。「仰臥漫録」が死と病の苦痛に怯える陰の世界だとすると、本書は苦界にあってもなお旺盛な好奇心を保ち続けた陽の属性に裏付けられた、俳人・文学者としての正岡子規像であろう。読了日:07月01日 著者:正岡 子規読書メーター