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カテゴリ:回顧録
昨日の記事は、なんだあれは! あんなクソつまんないの書かなきゃ良かったよ! 何が「我が辞書にガリ痩せの文字は無い」だよ! アホか、俺は!
「後悔とは、生きている証である」と言った者がいる。それほど後悔というものは生きていく上で避けては通れないものであると言わねばならない。奇遇にもちょうど昨日、俺も後悔してしまったところだ。 後悔は出来れば避けたいものであるが、後悔が人を成長させるということも忘れてはならない。後悔したくないが為に人は努力し、また後悔することによって人は努力を始めるのである。 俺が幼少の頃も、ゲームボーイというゲーム機をなくしてしまって大変後悔した記憶がある。 大好きだった格闘ゲームも出来なくなってしまった俺は、しかたなしに繁華街へ繰り出し、本物のストリートファイトに明け暮れたものだ。ゲームのようにエネルギー弾がどうしても出せず、悔し涙を流した思い出がよみがえる。 だが最近、偶然にも過去になくした俺のゲームボーイを発見することが出来た。俺にはわかる、これに間違いない。どこかのガリ痩せが勝手に遊んでしまってはいるが、そこは大目に見てやろう。 俺のゲームボーイ プリンス 参考:■ゴタクナラベ まったく、なにが「ガリ」「へーへーへー!」だ、笑っちまうぜ。 一般人が後悔する場面は特に多く、次のような場合に後悔してしまうことが多い。 ・彼女とのデートに遅れてしまった。 ・重要書類を落としてしまった。 ・ついダルくて断わってしまったが、みんなとの新年会に参加しておけばよかった。 これらの後悔は筋肉があれば解決するのだが、もし筋肉家であったとしても次のような事になって後悔してしまう。 ・彼女とのデートに間に合ったが、走ったせいで途中ビルをいくつか倒壊させてしまった。 ・重要書類をしっかり持っていたが手形に穴があいてしまった。 ・新年会に参加したはいいが、会場が狭くなってしまうので青木ヶ原樹海で行う羽目になった。 どちらの後悔を選ぶかはみなさんにお任せしよう。 タイタス お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.02.07 10:08:59
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