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カテゴリ:妊婦生活
妊娠10ヶ月へ突入
ご心配をお掛けしております このブログを通して知り合った方々の暖かいコメントに感謝と、パワーをいただきました。 本当にありがとうございます 昨日の検診で、先生から 「少しづつ、動いてもいいですよ!!」 とのお言葉をいただきまして、今日からはお散歩でも始めようかと思います 入院生活の話題って、だし、書くのやめようかとも思ったのですが、これも妊娠生活の記録として、私にとっては記録の一部として、残しておこうと思いました。。。。 1月26日 この日は、以前から美濃加茂市主催の「堀ちえみのトークショウ&ヴァイオリンのミニコンサート」の日で、午前中の定期検査の後、友人と待ち合わせていて。。。 数日前から、 「堀ちえみって、お子さんが5人もいて、すごいよね」 とか 「楽しみだね」 なぁ=-んて、気分はすでにコンサート会場に行っていたのです ところが、ところが*********** 診察で 「このまますぐに、入院してください。 いますぐに破水してもおかしくないです」 と、えっ??先生、今なんて言ったの???!!! と、耳を疑いたくなるような言葉。。。 先生「切迫早産です。」 私「えっ??このままですか?」 先生「はい。そうです。一歩も動いてはいけません。すぐにベッドを用意しますから、外でお待ち下さい」 私「でも、入院の準備とか・・・」 先生「後で、ご家族に持ってきてもらってください。 私「自宅安静ではいけないのでしょうか??」 先生「もし、入院を拒否されるのであれば、お腹にいる赤ちゃんの責任はとれません。 まだ33週ですから、このままもし、早産になれば、県の総合病院に母子共に搬送され ることになります。赤ちゃんは、まだ自分の力で呼吸ができませんよ。それでもいいの ですか?」 私「・・・・・・・」 もう、頭の中が真っ白で、言葉が出なかった。 とゆうより、この現実を受け止めることができなかったです。 私、どうなるの? 堀ちえみは?? 人って、とっさに、そんなどーでもいいじゃん!ってゆうことが頭をよぎるんですね 外に出されて、ボー然としていたら「そうだ!!待ち合わせの時間だ。とりあえず、友達にしなくちゃ」 と、とりあえず電話して、その後、どうしたのかは、正直覚えていなくて・・・・ あれよあれよとゆう間に、ベッドに車椅子で連れていかれ、点滴をつながれました。 ナースさんから、今後の治療方法や、入院準備や注意点などを話されたようですが、全然頭に入ってこなくて、後でその用紙を落ち着いて見返して、ようやく 私、このまま少なくても3週間は家に戻れないんだ・・・って、わかりました。 すぐに、約束していた友人が駆けつけてくれて、 「大丈夫だって!!3週間暇をもらったと思って、ゆっくりしやぁ・・」 と慰めてくれたり、お昼ご飯を用意してくれたりして。。。 友達って、ありがたいな。。って思いました。 それから、母がやってきて。 そのからしばらくして、義父母がきて。。。。。 おもわず 恥ずかしかったけど、こんなことになってしまって、自分がすごく嫌だった。。 「昔は、産まれるまで働いていた。」 とか聞いていたからかな。。 なんか、すごい罪悪感がこみ上げてきて***** 泣いてもわめいても、入院は入院。 大部屋の一番通路側は、過酷な環境でした。 常になぜか部屋のドアが開いていたから、カーテンを開けると通路を通る人たちから、寝ている私が丸見え状態だったから、四方をカーテンでミッチリ締め切っていたせいか、メチャクチャ暑いのなんのって** 暖房が入っていないのに、壁にかかっている温度計は30℃を指していて、おまけに乾燥して喉が渇いて・・・ 点滴で体温が37度に上がっていたせいもあって、その日は眠れず、一晩で2リットルの水をそれから、毎晩飲まずにいれれなくなるとは・・・・・ おかげで、入院後、1週間目の血液検査で、これまで一度もひっかかったことがないのに貧血に それで、「鉄剤」の薬を出され、その服作用で「便秘」になりまた「下剤」を出され。。 薬を飲んで、また服作用を抑える「薬」を飲み*** 点滴は、24時間付けっぱなし。 トイレと洗顔のみベッドから離れることを許されていましたが、その間もず==っと。。 お陰で、少し動くたびに「ピーピー」点滴の機械が鳴り、ナースコール その上、この点滴が、詰まるんですよ。。 そのたびに、差し替えなければいけなくて。。。 これが、また痛いのなんのって っと、まあ色々ネタはつきませんが、書いてる本人もになってきたので、今日はこの辺りで・・・ 最後まで、読んでいただいて、ありがとうございます 次回は、もうちょっとな入院ネタを書くようにしたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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