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リハーサルから本番まで、本当にぎゅう詰めの大賑わいの発表会が終わりました。
リハーサルですでにドラマが山ほどあって、途中で、何度もおなかがすいて、10秒チャージでエネルギーを補給しながらでしたけれど。 合同の発表会が、ここで続いている前から、本当に色々な立場で来ていたこの場所が、もはや、ホームだな、と思っておくくらいでちょうどいいということにして、とにかく笑って過ごしました。 いろんな立場のいろんな思い出を、色々とうまい具合に繋ぎなおすために、あのすべてがあったんだと、ただただ、それだけが腑に落ちるんですが、案外とその「あのすべて」が、たわいもないことで繋がれているように見せての・・・そうでもない感じは、相変わらずでした。 あの時の私に、あの記憶をあんな風にとどめたのは、今のため、というだけの、毎年おなじみのサンタショーでした、ということなんですけれど、恐ろしいまでの伏線の複雑さに、ちょいちょい記憶が混濁していて、そのくらいもまた、緊張しすぎないのにちょうどいいことを、改めて知った気がしました。 そのくらいに、頑張った子、そうでない子、お祭り騒ぎの子、などが、年齢や環境に応じて、山ほどいるわけですし、私たち講師陣も、女が盛りを過ぎていく、これまた絶妙にめんどくさい時期にいます。(笑) どこまで、あでやかに咲いて見せていればいいの?という、ピアノなんてそっちのけの課題で、私は、全精力が吸い取られちゃうので、そこはもう、成り行きのままにしておきました。(笑) 毎回、発表会と言えば、装いに関してザワザワするんですが、今年も、さぁ、出かけるか、予定していた服を着るか、の段階で、まず、超絶意地悪な難問と言うか、自分が脇役なのかそうでないのか、の微妙なラインをあてこすられるような気分になって、結局、楽な方を選んでいました。(笑) まぁ、結果的にそっちの方が良かったという事に、後日なるかならないかは、本当に今までの経験上で言えば、「そっちでよかったってことにするしかないでしょ!!」と、あたしがツノを生やして内心切れまくる感じなんですけれどね。 美人でスタイル抜群な先生と合同って、どれだけ辛いと思ってんの!!(笑) しかし、リハーサルも本番も、なぜか、楽な方を選んだ私は、ゆったりと微笑みまくっていて、どうも、あっちの子も、こっちの子も、見境なくこっちに来ちゃいそうで、そっちでハラハラしていました。 年に一回、この発表会でしか会わない小さな子どもたちが、安心しきった顔で、こっちを見て笑っていて、あらかわいい、と思ってみていると、また違うのが横から顔を見せてくる感じで、それだけで忙しかったです。 合同発表会も、もう何年になるか忘れちゃいましたけれど、結局、どっちの子だろうが、育っていれば微笑ましいだけのことで、かわいく見えちゃう、ただ、それだけのことなんですけれど。 音楽は、楽しいものなの?厳しいものなの?を、お勉強するには、きっと、私たちはちょうどいいコンビなんだろうな、というのも、今年が一番よくわかりました。 お互いの気にするツボ、気にしないツボが、絶妙にずれていて、それが歩み寄っていく過程が、そのままハーモニーであることを、サンタが私に教えたかったのも、いつものことでしたけれど。 昨今は、だいたい、そのハーモニーを乱すのはあたしじゃないし、というところだけで、でも、成り行きがこうなら、こう言っておけば、角が立たないでしょ、というセリフを、その場で考えるだけで日々が回っていきます。 歳を取ったからわかることというのはあって、余裕のない方が、ガミガミ言うの。(笑) そういう意味では、まぁ、ほんの少しのことを除いては、私は立派なおばあちゃん!!(笑) でも、おばあちゃんにしては、全然、そうは見えないこともわかっているから、一番難しいけれど、一番おいしいところを取れるようにしておいた、と、多分、サンタなら言うでしょうけれど、私なら、いや違う、それは、お前の男目線がクールすぎるんだ、で、永遠に喧嘩が終わらないところです。 子どもたちは、いつ、発表会が、綺麗なドレスを着て、記念品をもらって、家族に拍手してもらう楽しいイベントではない、ということを知るんでしょうね。 小学校高学年になったくらいの子どもたちが、ハッとするような音楽を奏でていて、その子たちが育った背景に、何があったか、それだけは、何が何でも忘れられない私の脳は、その日々だけを、逆走していましたが。 発表会に来て、感動していたのは、もしかしたら、親御さんたちの方だったかな、とは思いました。 それで十分じゃない?とも思います。 最終的に、私たちが、今、悩んでいるのは、講師演奏、いつ辞める?だったりします。 私たちが、弾いて聞かせなくては、彼らが知らないことがあって、それはまだ、子どもたちに任せられないけれど、私たちだって、そろそろねぇ、と、そこをどう締めくくるか、そればっかり。(笑) ちゃんとした発表会では、案外、講師は弾かなくて、こういうスタイルだから、私たちが辛いのは、どうしようねぇ、と。 それは、成り行きのままでいいと思うんですけれど、まぁ、手が動くうちは、弾いてもいいよ、というくらいの気分です。 枯れた味わいの演奏は、わかる人にしかわからないだろうから、それを、どう魅せるか、ということに尽きていくわけで、答えなんて、私も知りません。(笑) ただ、1年ぶりのあのピアノの音色は、出すのがもう、楽でしかなくて、昼寝の続きみたいに弾いとくだけで、あら失礼、程度にはなっていました。 音色の振動が、目に見えるような、あのデリケートな響きと、とてつもなく暖かいハーモニーと、その日のみんなの状態に応じて変化する演奏と、それを繰り出す自分の体の現状とが、完璧に、常に一致するなんていう神話を叶えられるほど、私も強くないけれど。 長年のお付き合いの調律師さんは、「先生の演奏で始められれば、全部があの雰囲気になるから、いいと思うんだけどね。」とは言っていました。 私たちがとてつもなくお気に入りの、優しくて、小さな曲たちで、そっと始められたら、みんなが安心するのにねっていう感じ。 その曲は、リハーサルで弾いただけでも十分にその役目を果たしていたから、子どもたちがニコニコしていたんだと思いますけれどね。(笑) 頑張ったのに、力が出し切れなかった子どもたちは、悔しくて悔しくて。 ・・・それが何より微笑ましい、という私にとって、未来のことは、あまり気にかからないことでしかなくなっていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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