テーマ:毎日、一歩一歩。(2526)
カテゴリ:想いも一歩一歩
今年も、6月10日・・・誕生日でした・・・。 当たり前のようにその日は来て。(人の気持ちなんかに関係なく)その日は過ぎて。 気がつけば、誕生日の日からもう10日以上があっという間に過ぎているのに、 誕生日以降日記の最新が更新されていませんでした。 「ゆみちゃん大丈夫?日記楽しみにしてるけど、誕生日に何かあった?」 「更新遅れてるよね。」 ・・・そうだったか・・・言われて気づく。 ご心配かけました。 自分では、6月の日記を埋めるために、いろいろ書いて9日までを達成したので、 あんまり意識してなかったけど・・・ 確かに誕生日の日の日記は、何をどう書いていいのかわからなくなっていました。 「何かあった?」と聞かれて、「いえ、何もなかった」と答えて、それもちょっと違って、 「何もなかったことこそが、何かあったってことなんだよな。」と自分自身で納得して・・・ そのことは日記に書くことじゃないんだな、と思いながら、 いや、そのことで落ち込んで歩けなくなってるわけじゃないってことだけは伝えなきゃ! と思ったのだけど・・・いったいどうやって書けばいい? そう思ってたら、なんにも書けなかった。 今年の誕生日、ここをクリアしないと、ちゃん伝えとかないと、と思うことが一つあります。 私信を書くか書かないか、友人にいろいろアドバイスも受け賛否両論ですが、 時と場合によりますが、ゆみの日記は日記であって、ビジネスツールとしてのブログではないから。 「お金持ち」にならなくても、「心持ち」でいたい。 と、また頑固さを見せて、心を伝えたいと思います。 (誕生日くらい好きなこと書いてもいいよね) 2011年の6月10日、ゆみの誕生日に、と・・・「約束」したことがありました。 先の約束、ってめったにしないんだけどね。 きっと思い入れのある約束は、実現しないって思ってるからなんでしょう。 何かを一緒に考えても、その日を決めておく勇気は、普通はないものだと思う。 自分の気持ちは信じられるはずだけど、それでも「約束」は怖いものだから。 だけど、それでも、と納得して交わした「約束」がありました。 約束というより、申し出だったかな。楽しみな申し出を受けました。 世の中には、心の事情と裏腹に、周りの事情が変わっていくこともあります。 時にそれは、予告ない急変だったりもします。 そのことを、なぜなんだろうと考える日々でしたが、ようやく到達したかもしれない。 神は乗り越えられない試練は与えない、というのもそうだけど、 やっぱりきっと天は平等であるはずで、誰もが等しく幸せを感じるために、ちょっと「操作」 したんだろう、と思うことにした。 たぶんゆみたちはもう十分幸せを感じてた。 だからそうじゃなかった人も幸せをちょっとでも感じられるように。きっとそう。 だとしたら、その人はちゃんと幸せを認識してるかしら。 当たり前だとないがしろにしてきたことの大切さに感謝してるだろうか? 取り戻したのなら、大事にしてほしい。(余計なお世話だね) だからゆみたちは、起きてしまったことに悲しむより、その前のことを本気で感謝しないといけない。 約束が達成されなかったことより、「約束できた」ということへの感謝。 6月10日の24時間はあっという間に終わっちゃった気もするし、 果てしなく長い時間のようにも感じられ、とにかく過ぎ去ってホッとしてる気もする。 親友が、「その日がヤマだね。」と言ったときにゆみは、「たぶん何も起きない」と きっぱり言った。腹が据わってるというよりは、以心伝心。 ゆみが持った覚悟は、たぶん約束の向こう側の人の覚悟だったんだと思う。 がっかり落ち込んで一歩も歩けなくなる…なんて、もったいないことは、決してしない。 生きられる命があるのに、立ちすくんでいるわけがない。そう思った。 「悲しみは頑張りの拠り所になる。頑張れるなら頑張ろう。」と親友が言った。 本当に悲しいのは、あんなに守りたかった約束を、守らない決断をした人自身だったろう とゆみは思う。 そう思うことで自分を納得させたのかもしれない。 昨年「約束の前倒しとバージョンアップの申し出」があったときに、逆にゆみは 「それなら10年後でいいよ」と言った。 茶化したわけではなく、本当にそう思ったんだと思う。何か予感がしたのかな。 だから、「10年後でいいよ」は取り消さない。 約束自体が「5年後」だったから、10年後ってことは、あと5年だからね! 延長戦突入・・・試合終了じゃないです。 生きてるかもわからない状況の中で、ただただ「生きていてください」と願っています。 そして生きてるなら、「生き方競争」だよ。 毎日、一歩一歩。 一日一日を大切に生きるんだよ。 生きていたら、日々の小さな喜びを少しずつ感じていくことができるんだと思う。 今まで気づかずにいたそんな場面を集めたらそこに、幸せを感じられるんでしょう。 幸せかどうかを決めていくのは自分です。 たとえ、苦しみや悲しみの中に居ても、きっと幸せを感じることはできるから。 だから、苦しまないでって言わないけど、 「幸せって感じられますように・・・」と、ゆみは誕生日に祈ります。 他人事じゃないよね。自分にも同じこと言わないといけないね。 ここまではなんか、区切りだと思って突っ走ってきました。 2011年のゆみの誕生日までは・・・って。 旅にも行ってきました。5月12,13日に・・・。 親友Ricaちゃんが一緒に行ってくれました。旅行記を書きます。 だからここからです・・・。 生きてるから。(ちゃんと生きないと歳だけとっちゃうよ。) 歌を聴きます。歌を聴いてください。心の支えにきっとなります。 2009年の誕生日の日記を見たら、こんなこと書いてました。 そして、今日の日に、紫陽花に望んだ奇跡は・・・ やっぱり起きなかったよ。 あの年も、歌を心の支えにして、夏に北海道に旅に出たんでした。 進歩ないな~。 それでも前よりちょっと進歩したこともあります。 前にこの画像を載せた時、弱音吐きました。 2009年11月03日 「道」byみつを。今はこの歌が悲しくて反発もしたくて、それでもどこかで納得してる。 がんばらなくちゃいけないことをがんばってる人へゆみからの独り言・迷いごと。 自分を納得させるために、文句を全部吐き出さないとがんばれなかったんだね。 結局は納得して歩くくせに、一度は反発してみた。 涙は流したくないよ。 だって、涙流しても、なんにも変わらないの知ってるから。 だけど、溢れてきちゃった涙はどうします? 上を向いて歩こうと思ったのに、引力に逆らえず地面に落ちてく。 ねえ、ふかくならなくっていいよ。 しっかりと根付いていかなくってもいいよ。 ちゃらんぽらんでいいもん。 弱虫だっていいもん。 あの時はこんな風に言ってみたけど、それで楽になるわけじゃなかった。 もっと深刻な今は・・・あの時よりもっと苦しかったけど、 ”いのちの根を深くする”ことの意味が、少しは解りかけてきたのかもしれません。 ちゃらんぽらんも弱虫も嫌だ。しっかりと深く根付いたら、きっと乗り越えられる。と今は思う。 弱音を吐いて通用するような年齢じゃないしね。 黙って歩く・・・はまだできなかったけど、涙は一切流していない・・・ 本当に強くならないといけなかったから。 2009年の言葉は、理屈でわかった世界でした。 それでも結論に持ってきた内容は間違ってはいなかった。 でもきっと頭で納得しただけじゃだめで、人は本当に心から理解して、実行して、 何より日々そのことに感謝して生きないといけないんだね・・・ のど元過ぎれば…になって、感謝を忘れて、あたりまえのようになったから、 もう一度、振出しに戻ったのでしょう。 歩きたい道と歩かなくちゃいけない道が違う、って思ってたのがきっと間違い。 道は一つで・・・曲がりくねっても寄り道でも、ちゃんと行きたい方に繋がっているんだと 信じるのは自分。 歩きたくない道をいくら努力したって、楽しくは歩けない。 そうじゃなくて、この道が自分の歩く道。 行きたい方向に行くのは自分。向かいとこさえ間違えなければ大丈夫。 何が、どっちが寄り道なのか、自分がわかってれば、絶対大丈夫(#^.^#) 安心して、とは言えないですが・・・約束の誕生日が過ぎても、ゆみは前を向いてるから。 だから「生き方競争」っていうか、「あきらめない競争・・・」 ずっとだよ。 眠れない日々を過ごすのなら 眠らない明日を追いかけよう 夢見ることが全てじゃなくて かなえようとすることが全て ・・・これからもずっと歌を聴き続けようね。同じ空の下で。
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