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テーマ:政治について(20231)
カテゴリ:社会
我が家は高台のマンションの1番上にあるので非常に見晴らしがいいのですが、今日は晴れにも関わらず視界がかなりぼやけています。これがそうなのかどうかはわかりませんが、そろそろ黄砂が飛んでくる季節です。 テレビは当然のテーマとなるものについてだけをクローズアップして放送するわけですから、それを鵜呑みにするのは良くないと思っています。しかし、中国の環境破壊は酷すぎませんか。というよりそれを看護している精神のほうがむしろ問題でしょう。 歴史が古いということはそれだけ多くのものを積み上げてきたわけであり、ものを積み上げる為には骨格が必要になる。その骨格となりうるのは物質として安定したもの、つまり木材や金属といった資源の事です。石炭が見つかるまで、中国は木材のみを燃料として金属を精錬していました。北部は日本の温帯林とは違って雨が少なく、内陸にいけばその程度はますます高まるばかりです。そんな所で森林を伐採しつづけたらどうなるか? その結果の1つが黄砂の飛来となって現れているわけです。 私は、先人たちの残した負の遺産から逃避するような感情は自分の中にないと信じています。 反日がうっとおしいのは報道を見るたびに思いますが、なぜそういうことになったのか。それは彼らの先代を私たちの先代が撃ったからです。恨みを受けるのは実に気分が悪いことですが、彼らの行動の因果を否定する権利は『日本人』という枠組みで捉えるのであればどこにもありません。負の遺産が形を変えて誰かの心に強く刻まれている限り罪のようなものはつきまとうでしょう。そこに逆恨みしてみても仕方ありません。 しかし、中国人たちも自分たちの残した負の遺産の事を忘れてはいませんか? 中国に文明が始まったのは4000年、あるいはそれより古いという説もあります。そのときから積み上げてきた負の遺産は、どれだけ時間が経とうとも、文明があったことを示してきた他の遺跡のように消えてなくなることはありません。そして環境破壊というのは何も過去のものではなく現在進行形であり、近年の方が質・量共に勝っている事でしょう。そのことが直接的に日本に被害を与え始めた事態を無視して、自らがまったくの被害者であると主張するのは卑怯ではないでしょうか。 そういう思想の下に過激派へと転ずる人々がすべてでないのはもちろんです。実際中国に行ってみたときも(日本人が空いてであるからこその)不快感を感じる機会はありませんでした。運がよかっただけかもしれませんが、理解がある平和路線の人々は必ずいます。ですが力をもっているのは反日派であり、日本人としてどうしてもそちらばかりに目がいってしまいます。 オリンピックが開かれ世界の注目が否応なく集まる2008年、それまでに中国政府がどのような政策に出るのか見守りたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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