中1の夏休みの時に家族でオーストラリアに行きました。
パンフレットには緑の海に広がる大堡礁。
ユーカリの木上で昼寝するコアラの顔。
空に突き立つようにしてそびえるオペラハウスの白い壁。
・・・・・とまあ自分がどこに行ったのかは思い出せるのですが、記憶の方はもう曖昧です。
人気が上がるにつれてツアーの費用も当然ながらつりあがっていきますからね、なんとももったいない話です。
そういや初めて英語使ったんだったな”How much is it?”って。
キーホルダーの値段聞くだけのにメチャ緊張しまくりです。
アメリカに4年いて(文法はイカンらしいですが)会話英語は完璧な母親に事前に確認までしてました。
それとマジチャカも初めて撃ちましたね。
何も町中でぶっぱなしたわけではありません、個人経営っぽい射撃場で何発かだけです。
鎖4本で固定してあったので反動なんてありませんが、結構大きい的でも当たらないもんです。
さて旅行の話はここまでにしておきます。
今日のお話はなんといっても金縛りです。
『タイトルとちゃうんやんけコラ』と思っていた皆さん、大変長らくお待たせしました。
・・・・・・・・ってここまできてタイトルの存在を覚えている人の方が少ないでしょうね。
あれは旅行が終わってシドニーを出て、日本へあと1時間弱でつくというときでした。
丁度台風が日本に接近していて、途中乱気流にもまれて飛行機が酷く揺れていたんです。
エレベーターの動き始めのふわっとする感覚があるじゃないですか、あれが15分ぐらい自分の座ってる座席で何度も何度も起きるんですよ。
スリルもありましたが飛行機です、落ちたら助かりっこありません。
安全な空域にたどりついた時には安堵の息を漏らしました。
それからしばらく、風の強い大阪を避けて福岡に着陸するとかいう事態も避けられそろそろ日本だなあ、よかったなあと思って意味もなく手を組んだときに、ふとある考えが頭をよぎりました。
この手を離したら飛行機が落ちるんじゃないか・・・・・・・・・。
風は既に収まっていました。
窓から見える景色に雲はなく、周りの雰囲気も落ち着きを取り戻していました。
ですが私の背中にはまださっきまでの浮遊感が残っていました。
特に取り乱していたわけではないのですが、精神は一種の興奮状態にあり、周りで何が起きても不思議じゃないような気がしていました。
自分の手が10センチ動いただけで乗客の命がすべて失われるわけがない。
そもそも墜落なんてほとんど起きるもんじゃない。
・・・・・でももし自分がたったそうすることだけで命が失われてしまうとしたなら。
馬鹿げたことを考えている自分を意識するとともに、万一の損害を計算している自分も存在しました。
思い切って手を引き剥がしてやろうとすると、両の手は接着剤で貼り付けたように離れません。
そうやって葛藤を繰り返しているうちに、手を動かす為の腕、腕を動かす為の肩、肩を動かす為の胴、胴を安定させる為の足というふうにして、体の自由はどんどんと奪われてゆき、動かせるのはついに目だけになってしまいました。
もしかしたら口ぐらいは動かせたのかもしれませんが、周りに対して行動を取る事すら禁忌のように思われてきて、もはやどうにもなりませんでした。
しかし心は完全なパニックになっていたわけではなく、動けない自分を無意味な事をやっていると嘲笑っている自分を意識することもできました。
そして次第に葛藤に疲れてきたのか、急に眠くなってきました。
禁忌は体を動かさない事だけであり、意識の有無は問題じゃないような気がしたので、私はそのまま睡魔に身を委ねました。
起きてみると体には唸りのように響いてくる震動音。
窓の外には関空のデッキがみえました。
事の発端となった両手はまだ握られたままでした。
小説のように『何事もなかったかのように』はいかず、引き剥がすのにはやはりいくらか力が要りましたが、先程試みた時と比べればすんなりといきました。
じっとりと濡れた手の平が、さっきまでのことが嘘でないことを証明していました。
金縛りってのは、寝ぼけた状態で体が思うように動かないときの記憶が鮮明に残った結果、あとでそうだったと思い込んだだけだとも言われています。
実際眠くなったのは金縛りの結果ではなくて、眠かったからこそ金縛りっぽい体験をすることになったのかもしれません。
でも私には実際あの時他の何かに強制されて身動きが取れなくなったような気がしてなりません。
それが脅迫神経とか自己暗示だとか、そんなものによるものだったとしても、あのときの不可解な感触だけは今でも思い出すことができます。