去年の秋方、大叔母(Σ( ̄□ ̄;)大分昔のミス広島だそうです)の納骨式に参列するため広島まで行ってきました。
私と母親が着いた時には既に石の下に骨壺は納まっていて、霊前で神式の儀礼を行った後墓地つきの神社に戻ります。
そこの1室にあった遺影はまだ40歳入ったばかりの頃の写真で、当然白黒ではありましたが今の日本人でも絶対美人の部類に入る顔でした。
しかし私が知っているのは70を過ぎ腰も曲がりつつあった姿だけです。
正直親族の方が遺影の前の椅子に座るまで同じ人だとはとても思えませんでした。
たとえ映画の主演女優を努めた美貌の持主であっても、時の流れから逃れる事はできないということを切に感じました。
『だから人生とは空しいものだ』などといって絶対他力にすがるような考え(現世利益のためなら尚更)は否定しますが、年を取る事への恐れというのは小さいながらも少しずつ感じるようになってきました。