近頃の若いもんの荒れように関して、団塊の世代にとったアンケートを元にした番組をちらっと見たのですが、
それによると『現状に自分たちは責任がある』『現状に自分たちは責任がない』がほぼ半々でした。
まあ責任感じてるといっても『なんとかしてやれたかもなぁ』というのから
『全く自分がふがいないばかりに誠に申し訳ない既に覚悟はできておりますこの命を捧げてでも・・・』ぐらいの幅があるでしょうし、
責任感じてないといっても『さすがに今は酷すぎるで』というのから
『あんな気違い共の面倒なんざようみいへんわ年金だけ払てくれたら後はとっとと失せろや』ぐらいの認識の差があるでしょう。
私も自らのあらゆる不備を大人のせいにしてのうのうと暮らすつもりはありませんが、
『はぁ、あんな奴らの事知らんわ』とウダウダしてる人間の文句に耳を貸すほどお人よしにはなれなさそうです。
互いに謝ったり礼言いまくって収拾つかなる時ってあるじゃないですか。
今まで素直じゃなかった若いもんも、一度『ごめんなさいねぇ』と多少馴れ馴れしくでも声かけてもらえば、
『とんでもないです、自分の方こそ本当今まで好き勝手してきて・・・・』と態度を軟化させる性根のいいやつはいくらでもいるはずです。
それを『お前らの無責任さは身から出た錆び以外の何物でもない』と突っぱねられては心外です。
世代的に直接面倒を見てきた見られてきたという間柄ではないにしても、
無責任を無責任で返すような人間のために何かしてやろうという気になる方が珍しい存在です。
まあ仮に体が偏見でできている大人が相手でさえも平然としていられる胆力を身につけられれば最高なのですが・・・・。
こんなわけで、私は卵が先か鶏が先かという論議(子供が大人のせいにする場合も勿論)が放置されるのを切に願っています。
こんなわけで、私は卵が先か鶏が先かという論議(子供が大人のせいにする場合も勿論)が放置されるのを切に願っています。
そうでないと折角あと一押しでどうにかなったはずの人間にさえそっぽを向かせる事になってしまいますから。