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カテゴリ:つれづれに
必要なときに、必要なことは入ってくるのだなぁ、と。
少し錆び付きかけていたアンテナも案外頑張ってたんだ。少し自分を褒めてやるか(笑) 信頼している人の一言は、本当にあったかく背中を押してくれる。 「よかったよ」という話だけでなく、その人はわざわざ私に映画館情報まで教えてくれた。 行けない時には絶対に行けないもんだ。 でも、行けるときってあるんだよなぁ。 行くべきとき、とも言うのかもしれない。 バグダッド・カフェ なんでだろう。あたしはずっとずっと、それこそ十数年、この映画を見ようと思いながら、まったく見ていなかった。 見たい映画のリストのあたまのほうにあるのに、ビデオを借りてきたこともなかった。 そして、映画のポスターですら、ちゃんと見てなかった。 ただ、その空がたまらなく好きで、それだけでいい映画だと信じていた。 大好きな友人と見た。 映画はひとりで、と決めている私が、彼女を誘って一緒に見た。 この映画を、若いときに見なくてよかったなぁと思った。 若いときにもわかったことはあったかもしれない。 でも、今の私がこの映画に出会えて、よかったなぁ、と。 生きている間に、ちいさなささくれや、つまらないいざこざで、人は少しずつ傷つき、やわらかさをなくした気持ちの隙間になにかを溜めて、輝きを失っていく。すすけていく。 気がつかないうちにたまってしまった何かを、自分自身でぬぐうのは大変なことだ。 何もしていないのに疲労感と無力感だけが先にたつ。どうしてそんなことだけ想像力がたくましくなったのか。そのことにまた自分の人生を恨んだりする。 彼女はただラッキーだっただけかもしれない。 無心にぞうきんをかけてくれる人がいて。 でも、ぞうきんをかける側だって、半べそかいてたんだ。寂しくて。心細くて。 だから、ラッキーなのは、出会いそのものだったのかもしれない。 ひざを抱えて、笑いながらしゃべるシーンが大好きだった。 きっとたいしたことは話していなかったにちがいない。 でも、生きててよかった、って思ってたろうな、きっと。 幸せな夜だったなぁ、と。 すすけた何かをぬぐってくれたのは、 映画をみるきっかけをくれた人が存在してくれたこと。 優しい映画に実際に触れたこと。 そして、「あたしたちもこんな感じだね」とちょっとテレながら友人に言えたりすることだったりする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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