まるで推理小説のように
『FH司祭問題を駁す』というブログに興味深い時系列が書かれていました。それで、礼拝が終わった後の集まりが終わってから、裁判などに詳しい方にあのブログをお読みいただいて、いろいろとお話をお伺いしました。あのブログを読み終えてから、私のパソコンの中にある事件のデータなどをご覧になり、私もできる範囲でこの事件と裁判の経過に関してお話しいたしました。すると、その方の口から出てきたものは、まるで推理小説のようなものでした。2001年 6月12日 被害者からわいせつ被害を受けたと提訴さる2004年 9月30日 奈良地裁で被告勝訴 10月14日 被害者控訴2005年 1月 ?日頃 京都教区が原田文雄の異動(金沢へ)を内示か。 2月 6日 聖光教会の教会委員会で 2月27日に幼稚園の臨時理事会召集の予告。 2月27日 聖光幼稚園理事会開催 原田園長に退職金と功労金の支払い決定 財団定額(月額455,000×14.160)、 プラスアルファー合計700万円 3月30日(水)大阪高等裁判所で被告敗訴、 500万円の賠償金支払い命令(請求額の満額) 仮執行宣言付き 3月31日(木)退職、4月1日付けで金沢聖ヨハネ教会へ異動 4月15日(金)最高裁へ上告 7月19日(月)被告原田文雄の敗訴確定。 まず第一に、「被害者が地裁に提訴し、それが全面的に認められることはそれほど多くはなく、被害者が高裁に控訴した段階で、高裁は地裁に出した訴状と高裁に出した控訴理由書を比較検討し、そこに大きな差がなければ、被害者の主張に信用性があるように考えるのが普通ではないか」ということでした。それで、「地裁では3年以上かかった審理が、高裁ではおよそ半年で判決が出ていると思われる。訴状や控訴理由書の閲覧メモを参考にすると、高裁はかなり早い段階で被害者の主張は真実であると考えていたように思えるし、公判での裁判官の言動から、加害者(被告)側の弁護士は気がついていたと思われる。そして、当然のこととして弁護士は推定される判決を加害者に話していただろう。つまり、『負ける』という事態が来ることを説明していたはずだ」とのことです。ただ、「仮執行宣言が付くかどうかは判っていなかったかもしれない。おそらく、仮執行宣言が付いたことに関しては、加害者側の弁護士は少しショックだったかもしれない」ということでした。それは、はじめから最高裁まで争うつもりがあれば、3月30日に敗訴の判決が出てすぐに上告しなかったのか。加害者は上告期限のぎりぎりまで考えて、上告している。弁護士の勧めを受け入れるかどうかを考えていたのではないかとのことだった。 「ここで彼らの無駄な抵抗が始まる。いえ、無駄と言うよりは「冤罪」を口に出来る道を彼らなりに精一杯考えたのだろう。最高裁まで争えば『冤罪』ということを言うことが出来る。また、『事実無根』を貫いている姿勢を教会関係者に見せることが出来る。時々、こうした事例ではないかと思える上告があるそうだ。時間稼ぎということもあるらしい。そして、これが真実であるかどうかということを判断するために大事なことは、高裁の判決公判の日程が示されたのがいつかということだ」そうです。2月6日以前なのか、以後なのかによって、このところの判断は異なってくるそうです。 それで、「加害者側の上告に関しては、それが無駄だということを弁護士が説明したことが考えられ、民事訴訟法上の規定を上げて加害者や京都教区の首脳部に説明し、上告を断念するように説得したかもしれない。仮執行宣言が付いた高裁判決を覆せるだけの新しい証拠があったとは思えない。これに関しては、上告理由書にどのようなことが書かれていたか判らないので、何とも言えないが、しかしこの段階での上告は無駄であることは弁護士なら誰でも判ると説得したかもしれない。にもかかわらず、加害者が上告したのであれば、上告審でそれなりの弁明が出来るからではなく、最高裁まで争ったという事実が欲しかったのかもしれない。それは加害者だけでなく、京都教区の首脳部にとっても同じことだっただろう。だから、最高裁の上告却下が決定され、それが新聞記事になるとすぐに『冤罪』を叫ぶことが出来た。」7月19日 最高裁が加害者の上告を却下 加害者敗訴確定8月26日 教区が記者会見で発表、同日NHKテレビで報道8月27日 毎日、読売、奈良各紙朝刊で報道(「糾す会」のサイトに記事あり) 三浦恒久教区総務局長名で大阪高裁と最高裁に強く抗議する旨の コメントを発表 「牧師は事実無根を訴えてきた。(大阪高裁)判決には驚いているし、裁判には憤慨している。」奈良新聞にはこの総務局長のコメントが記されています。そして、京都教区主教はこのすぐ後で、ある人物に「冤罪」だと怒鳴り散らしたそうです。はじめから計画されていた可能性が十分にありそうです。「冤罪」を貫けば、教会の内部の人々を騙せると思ったのかもしれません。少なくとも教会の中ではこの事件を隠蔽できると考えたのではないでしょうか。 この推理小説のようなことをお話下さった方は、「2001年に加害者が提訴されて以降、4年以上も事実を隠蔽し、加害者を処罰しなかったということは、常識的には考えられません。そうした意味では、この日本聖公会京都教区の発言や行動の責任を教区首脳部は取らなければならないのは当然だと思います。それとも、日本聖公会京都教区は国家の法を超えた権威を持っている、つまりある種のアナーキズムを持っているのでしょうか。」とおっしゃっていました。そしてこの一連の京都教区の対応は、加害司祭を擁護し、事件を隠蔽しようとするものであることは、誰が聞いても明らかなことであるのではないでしょうか。 日本聖公会の管区には当然、この京都教区の過ちを問う責任があります。