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テーマ:動物好きさん集まれ~(971)
カテゴリ:ペット・野生動物
筆者らが公園設立運動を開始する切っ掛けになったの年が1975年です。大井埋立地に多くの野鳥生息しており,干潟には蟹(カニ)など住んでいて,雨水が溜った池にやガレ場のような場所,葦原などにも色々な野鳥が来ていました。そして公園設立運動の結果,1978年に広さ3ヘクタールの「大井野鳥公園」を実現することができました。 大井野鳥公園となった部分は埋立地のほんの一部で,多くの野鳥がこの公園以外の場所に生息していました。そのため筆者らはその部分も公園化するための運動を1980年に開始しまし,1989年に東京港野鳥公園の開園を実現しました。この間に筆者の加藤幸子さんは同人誌などに小説を発表していたのですが,『新潮』(1982年9月号)に発表した「夢の壁」で,1983年に芥川賞を受賞しています。 野鳥公園ができるまでの東京都などとの交渉の経緯ですが,野鳥が生息する大井埋立地を野鳥公園にするまでには色々なやり取りや交渉がありました。大井埋立地の帰属問題ですが,これは1979年に北側が品川区に,野鳥が生息している南側が大田区に帰属することに決まりました。 筆者らは地元の太田区議会議員に協力を求め,議員らは超党派で協力してくれて署名をもらうことができました。しかし大井埋立地一番近い場所に所在する小学校のPTAからは協力が得られませんでした。「教育に関係ないことには協力はできない」というのがPTA側の考えでした。筆者らは埋立地に集まる野鳥や埋立地にできた干潟,淡水や汽水の池などは理科教育に役立つと説明したそうなんですが,そのPTAには通じなかったそうです。 都議会議員にも協力を求めました。これも超党派で多くの都議が協力してくれて署名をもらえたのですが,都議の重鎮議員が署名してくれず,足踏み状態となりました。しかし,その重鎮は当時の環境庁長官・鯨岡兵輔さんに義理があったそうで,鯨岡さんにその重鎮の都議会議員宛ての書簡を書いてもらったところ,あっさり署名してくれたそうです。これで大田区選出の都議会議員と大田区議会議員の署名はそろい一般市民の署名も6万人集まりましたが,役所(東京都)の壁は厚く,なかなか事が筆者らの思うようにはすすみません。 東京都は大井埋立地は卸売市場として開発する予定で埋め立てたのですが,卸売市場建設には農水省が絡んでいたり,東京都庁内でも卸売市場を管理する部署と大井埋立地を管理する港湾局との間で軋轢があったそうです。港湾局は大井埋立地の公園化には理解を示していたそうでうが,卸売市場を管理する部署は理解してもらえなかったそうです。この事は新聞やテレビなどでも取り上げられるようになり,市民にも良く知られるようになっていきますが,新聞などの報道には恣意的な面もあり,必ずしも事実を正確に伝えるものではなかったようです。 筆者らは何度も東京都と話し合いを重ね,東京都が公園案を何度か出してきましたが,公園の面積が狭いものばかりでした。そしてついに,大井埋立地の面積の半分を卸売市場に,残りの半分を公園にする案を出してきました。筆者らが要請していた公園の面積より1割ほど狭い提案でしたが,公園設立に理解を示していた港湾局は他の部署からいろいろと批判的な目で見られていたらしく,港湾局にとってはこの案が精一杯といった状況だったようで,また,筆者らもここでこの案を跳ねつけてしまうと,それ以後公園設立に前向きな港湾局の協力を得られなくなり,公園設立の可能性がなくなってしまうと考え,この案を受け入れ,1989年に大井埋立地に東京港野鳥公園(大田区)が開園しました。 東京都は当初は築地の魚卸売市場も大井埋立地に移転させるつもりでいたそうですが,魚卸売業者の移転反対意見が強かったらしく,当時は現在の築地市場を再開発することに決まったらしく,大井には魚卸売市場は来ませんでした。それで公園に割り当てる土地が確保できたのかましれませんね。現在は築地市場は江東区内の工場跡地(だったかな?)へ移転することが決まったようですが,工場跡地(だったかな?)から人体に有害な化学物質が検出されたので,移転場所の話がまた沸騰してますね。 ポチッとね♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.03.21 15:32:55
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