『
昭和の車掌奮闘記 - 列車の中の昭和のニッポン史』〈交通新聞社新書 007〉を読み終わりました。国鉄時代に車掌を28年間勤めた方が著した本なんですが,私がこの本の著者を知ったのは鉄道模型の『
レイアウト・モデリング』という本に著者が製作した鉄道模型のレイアウトセクションが掲載されて,それを読んだのが最初でした。その頃はレイアウトセクションの時代設定がわからず,「何で蒸気機関車がC11でなくC10なんだろう?」とか「何で馬が牽く大八車がレイアウトセクションに置かれているんだろう?」と思っていたんですが,数年前に著者の別の本を読んで,レイアウトセクションの時代設定が昭和初期だということを知り,納得しました。戦前はまだ農耕や荷役に馬や牛が使われていましたからねえ。著者は昭和10年(1935年)生まれなので,幼少期に見た鉄道風景を模型化したんでしょうねえ。
『昭和の車掌奮闘記』のことですが,国鉄時代の車掌業務に関連することが色々と書かれています。ちょっと驚いたのが車両基地の近くに新駅を作る理由です。今まであった主要駅に隣接した車両基地が列車本数の増加により手狭になったり,主要駅周辺の開発の影響で駅に隣接する広大な面積を持つ車両基地が移転するんですが,用地買収費用が安価にすむ駅と駅の中間に移転するんだそうです。そこは最寄り駅から遠いので,国鉄職員は最寄り駅から車両基地まで例えば30分とか徒歩で通勤しなくてはならいと,その時間が給与に算入されるのだそうです。職員の人数と何年も払い続ける通勤時間分の給料を計算すると,車両基地付近に新駅を建設した方が,建設後何年かするともとが取れるのだそうです。そいう理由で建設された駅を「徒歩時間削減駅」と呼んだそうです。実例は大阪環状線の大阪城公園駅と関西本線の平城山(ひらやまえき),山陰本線の出雲神西駅(いずもじんざいえき)などです。ほかにもあるらしいです。「新しい駅を造る」という理由だと,用地買収も容易なのだそうです。国鉄にとっても地元住民にとっても良いことづくめ。国鉄職員にとってはどうだったんだろう。私だったら,30分も歩いてその時間分を給料に算入されるより,5分歩くだけですむ方が楽でいいですねえ。真冬や雨,雪の日に30分も歩くのは大変ですから。当時の国鉄の専務車掌の給与は薄給だったそうです。助役や駅長,東京駅前にあった国鉄本社ビル勤務の職員の給与はわからないんですが。本社の幹部クラスの職員は退職後に関連企業に天下りができたでしょうから,生涯収入は結構あったんでしょうねえ。
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